アカサチ森の瀬長拝所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 17:23 UTC 版)
伝承によると、琉球開闢の女神アマミキヨの子・南海大神加那志が瀬長島に集落をつくり、アマミキヨから4代目の豊見城大神加那志が耕作地を探して豊見城へ渡り開墾したとされる。これが豊見城のルーツは瀬長島であると信じられ神の島として信仰されていたゆえんである。米軍の強制接収によって、島の聖地もアカサチ森に移設され、1975年に現在の瀬長拝所としてまとめられた。中央に天御人之御神が祀られ、三様御殿、按司御墓、御骨神、火ぬ神、瀬長島の4つの泉井 (御月御井、知念御井、按司御井、前ヌ御井) を祀っており、いまも信仰の対象となっている。
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