アイトール・オシオ・カリオンとは? わかりやすく解説

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アイトール・オシオ・カリオン

(アイトール・オシオ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/22 16:50 UTC 版)

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はオシオ第二姓(母方の)はカリオンです。
アイトール・オシオ・カリオン
2008年のオシオ
名前
本名 Aitor Ocio Carrión
カタカナ アイトール・オシオ・カリオン
ラテン文字 Aitor OCIO
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1976-11-28) 1976年11月28日(41歳)
出身地 ビトリア=ガステイス
身長 187cm
体重 80.3kg
選手情報
ポジション DF (CB)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1998
1998-1999
1999-2000
2000-2001
2001-2003
2003-2007
2007-2012
CDアウレラ
SDエイバル
アルバセテ・バロンピエ
CAオサスナ
アスレティック・ビルバオ
セビージャFC
アスレティック・ビルバオ
65 (3)
29 (0)
34 (0)
14 (0)
33 (1)
64 (3)
62 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アイトール・オシオ・カリオン(Aitor Ocio Carrión, 1976年11月28日 - )はスペインビトリア=ガステイス出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー

経歴

セグンダ・ディビシオン(2部)のSDエイバルアルバセテBPを経て、CAオサスナに在籍した2000-01シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)初出場を果たした。

2003年にはセビージャFCに3年契約で移籍し、4度のタイトル(コパ・デル・レイ1度、UEFAカップ2度、UEFAスーパーカップ1度)獲得に重要な役割を果たし、ハビ・ナバーロを補佐する副キャプテンも務めた。

2007年7月、セビージャFC時代に2年間指導を受けたホアキン・カパロス監督がいるアスレティック・ビルバオに復帰した[1]。クラブのスターのひとりであるイスマエル・ウルサイスが11年間付けていた背番号20を身にまとい[1]、2007-08シーズンは27試合に出場した。2008-09シーズンはコパ・デル・レイ決勝にコマを進めたが、エスタディオ・デ・メスタージャで行われたこの試合はFCバルセロナに1-4で敗れた。2009-10シーズンは自身の負傷やフェルナンド・アモレビエタの成長などの影響で、出場は3試合に留まった。2012年6月14日に現役引退を発表した[2]

所属クラブ

タイトル

脚注

  1. ^ a b アイトール・オシオ「アスレティックに戻るのが夢だった」livedoorスポーツ、2007年7月17日
  2. ^ Aitor Ocio: "Esto pone punto final a un sueño de mi infancia" Europa Press、2012年6月14日 (スペイン語)

外部リンク





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