わずか6年で廃業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 07:55 UTC 版)
その後業績が不振となり、1917年(大正6年)12月に会社が解散、東京在住の宇都宮金之丞が2万円で買収し、管理人が桐原清七郎、興行師は鹿児島座から引き続き花田虎吉で「鹿児島劇場」として存続。 しかし1919年(大正8年)1月12日、鹿児島新聞社(現在の南日本新聞社)主催による『桜島爆発5周年記念音楽会』を終えた後、13日午前2時頃隣接するパン屋付近から出火、鹿児島座に引火してからはわずか20分ほどで焼け落ちた。その後は再建されず、わずか6年の営業であった。
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