暲子内親王
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暲子内親王(しょうし/あきこないしんのう、保延3年4月8日(1137年4月29日) - 建暦元年6月26日(1211年8月6日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての皇族。初めて后位を経ずに女院となり、八条院(はちじょういん)と号した[1]。
- ^ 平安京の左京八条にある八条殿を御在所としたため。
- ^ 院号宣下の前に立后されなかったのは出家していたため。
- ^ 栗山圭子『中世王家の成立と院政』吉川弘文館、2012年、P87-91
- ^ 佐伯智広「鳥羽院政期の王家と皇位継承」初出:『日本史研究』598号(2012年)/所収:佐伯『中世前期の政治構造と王家』(東京大学出版会、2015年) ISBN 978-4-13-026238-5
- ^ 永井、2021年、P103-112.
- ^ 山田彩起子『中世前期女性院宮の研究』思文閣出版、2010年、P281-282
- ^ 樋口健太郎「八条院領の伝領と八条良輔」(初出:『年報中世史研究』40号(2015年)/所収:樋口『中世王権の形成と摂関家』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02948-3)
- 1 暲子内親王とは
- 2 暲子内親王の概要
- 3 関連作品
固有名詞の分類
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