『飛べ! 千羽づる─ヒロシマの少女 佐々木禎子さんの記録』(1982年、講談社)
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共同映画、映画化。TBSテレビドラマ化。かけっこの早い禎子は、6年生になって白血病を発病した。それは禎子が2歳のとき広島に原爆が投下され、炎に包まれた町を、母に手を引かれて逃げていくとき肌に当たった“黒い雨”が原因であった。家族、同級生たちの愛に支えられ、「生きたい!」と願いながら、折りつづけた千羽づるもむなしく、ついに帰らぬ人となった。同級生たちの努力で集められた浄財で、禎子をモデルに「原爆の子の像」が平和記念公園に建てられたが、その石碑には、「これは ぼくらのさけびです。これは 私たちの祈りです。世界に平和を きずくための」と、記されている。
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