『日新館志』巻之二十七「居合兵法」
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長野槿露は無楽斎と號す。上州長野信濃守の支属也。驍勇多力、しばしば戦功有り。漂泊周流の後、羽州に至り、田宮重正 (平兵衛) と倶に重信に従学して朝鑚暮研、遂に其の妙を得る。 其の業を潤色、事理を全備し、名づけて無楽流と曰う。蓋し、斯業は重信より始まり、無楽斎にて成る。克く擴充したると謂う可き者也。 其の後、出遊して名声顕著、而して抜刀の諸流、多く斯人より出ずと云う。 「居合系譜」(神田良近著) に曰く。槿露は性僻異常を好み、後面牛に跨り、女子をして之を牽かしむ。沍寒に爐火を設けず、終身犯さず、亦奇なり。 「武藝小傳」に曰く。槿露は刀術を田宮重正に学び、造詣精妙なり。後に井伊侍従に仕え、九十餘歳にして卒す。
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