『大韓地誌』の于山とは? わかりやすく解説

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『大韓地誌』(1899)の于山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 07:33 UTC 版)

于山島」の記事における「『大韓地誌』(1899)の于山」の解説

大韓全図の鬱陵島周辺部 1899年光武3年)に朝鮮の歴史家兼書道家の玄(1886 - 1925年)によって編纂された地理書大韓地誌』のなかに、大韓全図という経緯度入りのかなり正確な付属図が付いている。この地図中に鬱陵島並んで于山の名が記載されている。于山島と書いていないことから、于山鬱陵島とその周囲記載されている島全体指しているか、または于山文字位置関係から、現在の鬱陵島付属する竹嶼という島であることが推測できる。また大韓帝国領域東経130度35分までと記しており、現在の竹島大韓帝国領とはしていない。この『大韓地誌』は大韓帝国学校でも使われたことのある信用性の高い地図である。

※この「『大韓地誌』(1899)の于山」の解説は、「于山島」の解説の一部です。
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