『大韓地誌』(1899)の于山
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大韓全図の鬱陵島周辺部 1899年(光武3年)に朝鮮の歴史家兼書道家の玄菜(1886 - 1925年)によって編纂された地理書『大韓地誌』のなかに、大韓全図という経緯度入りのかなり正確な付属図が付いている。この地図中に鬱陵島と並んで于山の名が記載されている。于山島と書いていないことから、于山が鬱陵島とその周囲に記載されている島全体を指しているか、または于山の文字の位置関係から、現在の鬱陵島に付属する竹嶼という島であることが推測できる。また大韓帝国の領域は東経130度35分までと記しており、現在の竹島を大韓帝国領とはしていない。この『大韓地誌』は大韓帝国の学校でも使われたことのある信用性の高い地図である。
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