Prolog 歴史

Prolog

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 00:04 UTC 版)

歴史

誕生

Prolog の性格上、その歴史には定理の自動証明の研究が大きく関係している。1930年にジャック・エルブランは自動定理証明やPrologのベースとなる数理論理学上の基本定理であるエルブランの定理を発表した。エルブランの論文には Prolog で必須の単一化アルゴリズムもすでに含まれていた[3]

1950年代以降、計算機上での定理証明の研究が活発になり、ギルモアのアルゴリズム(1960)やデービス・パトナムのアルゴリズム(1958,1960) 、プラウィツによる定理証明への単一化アルゴリズムの導入(1960)などを経て、1965年のロビンソンによる導出原理 や1960年代後半のラブランドによるモデル消去の証明手続きの成果からひとつの結実期を迎えた。その数年後の1971年マルセイユ大学のアラン・カルメラウアーとフィリップ・ルーセルのグループは自動定理証明システムとフランス語の自然言語解析システムとを組み合わせたコンピュータとの自然言語対話システムを作成していた。この際に自然言語解析システムも自動定理証明システムと共通の論理式という枠組みで構築できることに気が付き、論理式をそのままプログラムとして実行できる最初の Prolog を1972年に完成させた[4]。これは数千年に及ぶ人類の叡智である論理学の成果をプログラム言語に置き換えたものと言えるが、現在の Prolog でプログラムの制御に使われるカットオペレータに相当する機能が最初から導入されるなど[5]、現在の Prolog と同様、単なる定理証明システムではなくプログラミング言語として設計されたものだった。以下にその当時の Prolog プログラムの一部を示す。論理変数名の最初の文字が "*" で始まるなど、現在の Prolog とはシンタックスが異なる。

READ
  RULES
  +DESC(*X,*Y) -CHILD(*X,*Y);;
  +DESC(*X,*Z) -CHILD(*X,*Y) -DESC(*Y,*Z);;
  +BROTHERSISTER(*X,*Y) -CHILD(*Z,*X) -CHILD(*Z,*Y) -DIF (*X,*Y);;
  AMEN

コワルスキとDEC-10Prolog

彼らグループに理論的な助言を与えていたエジンバラ大学のロバート・コワルスキとデービッド・H・D・ウォレン[注 2]は汎用機 DECsystem10 上にマルセイユ大学とはシンタックスが異なる処理系を作り上げた。これは後に DEC-10 Prolog と呼ばれることになるが、ISO 標準規格を含む今日動作する Prolog 処理系はほとんどがこの系統のシンタックスに従っている。

desc(X,Y) :- child(X,Y).
desc(X,Z) :- child(X,Y),desc(Y,Z).
brothersister(X,Y) :- child(Z,X),child(Z,Y),dif(X,Y).

コワルスキはその後、インペリアル・カレッジ・ロンドンに移り、1979年に集大成ともいえる「Logic for Problem Solving」を著し、その後のこの言語と論理プログラミングの研究に決定的な影響を与えた。

コワルスキの活動と DEC-10 Prolog の存在によって、英国は Prolog 研究の中心地となった。エジンバラ大学のW・F・クロックシン[注 3]とC・S・メリシュ[注 4]の著わした「Programming in Prolog」は長く Prolog のバイブル本として利用された。エジンバラ大学からSRIインターナショナルに転じたディビッド・ウォレンは1983年 Prolog の仮想マシンコードであるWarren's Abstract Machine英語版(WAM)を発表した。この後の Prolog 処理系の実装は、一旦C言語などでこの仮想マシンコードを実装して、その上で Prolog のソースコードをこのマシンコードに変換するコンパイラを用意するという手順を踏むことによって、開発を簡素化し実装上の標準化を図ることが普通になった。日本の新世代コンピュータ技術開発機構Prolog マシン PSI は1987〜1988年頃に開発された PSI2 からこれを採用したし、その後開発された Prolog 処理系の多くはこの方式に従った。

1976年にSRIに留学していた古川康一はカルメラウアーらの Prolog 処理系のリストを見つけ帰国時に電子技術総合研究所に持ち帰った[6]。当時電子技術総合研究所で推論機構研究室長をしていた渕一博はこのリストを解析して Prolog 処理系を走らせ、ルービックキューブを解くプログラムを作成するなど論理プログラミングに対する理解を深めていった[6]

1978年MITに留学中の中島秀之が「情報処理」誌に紹介記事を寄稿して、Prolog は日本でも広く知られるようになった。

新世代コンピュータ技術開発機構とProlog

1970年代終り頃、日本では通産省の電子技術総合研究所の渕一博を中心とするグループが論理プログラミングの重要性を認識して、日本のコンピュータ技術の基礎技術としてこれを取り上げることを提案する。これが最終的に1980年代の新世代コンピュータ技術開発機構の発足と活動につながった。総額約570億円の国家予算を約束されて1982年に新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)は活動を開始する。Prolog を含む論理型言語はこの研究の核言語と位置づけられ世界的な注目を浴びることとなる。約10年間の研究活動中に Prolog と論理プログラミングの研究は急激に深化した。実際1980年からの20年間に Prolog をメインテーマにした日本語の書籍は約50冊発刊された。ICOT の研究員は積極的に Prolog の啓蒙に努め、講習会、チュートリアル、ワークショップを年に一度ならず開催した。ICOT が主催したロジック・プログラミング・コンファレンスは1983〜1985年頃をピークに若い研究者達を刺激した。研究活動前半の期間では論理型言語の実用性を証明するために、Prologマシンが設計され、三菱電機と沖電気によって製作され、ICOT の他大学等研究機関に配布された。この個人用逐次推論マシン PSI の機械語 KL0 は単一化やバックトラックなど Prolog の基本的特徴を完全に備えていた。この KL0 によって、PSI のマイクロコードを制御した。KL0 を基礎として、オペレーティングシステム SIMPOS が設計され、これを記述するために、Prolog にオブジェクト指向プログラミングを取り入れた ESP[注 5]が近山隆により設計されて使われた。ESPは多重継承を特徴とする当時としては先鋭のオブジェクト指向言語であったが、後にカプセル化の不備などが指摘されて、今日あまり話題となることはない。しかし、OSを記述するという課題を通じて、論理型言語にオブジェクト指向言語的要素を加えることによって、可読性が高まりプログラム管理がしやすくなることが確認された。その反面、Prolog のみでオペレーティングシステムを完全に記述してみる絶好の機会を逸したことも確かである。ESPはPSIを前提にせずに利用できるように、C言語で書き直したCESPが開発されたが、これが普及への起爆剤になることはなかった。後に述べるように、PrologのISO標準規格のモジュール仕様としてESPの採用が否決された1995-6年頃以降はほとんど利用されることはなくなった。

ここまで述べたように、Prologは ICOT によって持ち上げられた言語 Prolog との印象が強いが、Prolog というプログラミング言語から見ての ICOT の影響は実は限定的だった。淵所長ら ICOT の主研究テーマは並列論理型言語にあり、研究後半では Prolog そのものからは離れて行くことになる。PSI に使用した電子基盤を利用して並列推論マシン PIM が製作されて、Guarded Horn Clauses(GHC)に基づく並列演算処理を追加した KL1 が設計された。この環境に依存する形で、並列論理プログラム言語のKL1知識プログラミング全般の研究に利用された。PSI と SIMPOS を使った研究も続けられはしたが、割り当てられた研究員の数は極めて少なかった。

ICOT の活動を総括して、知識プログラミング各課題において準備不足からくる未消化を指摘する向きが強いのだが、こと Prolog から見ての前半期の活動は、今日語られることも少ないが、極めて充実したものであったといえる。

ICOT の活動盛期の1984年京都大学の学生3名[7]が研究課題として製作した Prolog-KABA がその性能の高さとアセンブラで記述されたことからくる高速性で世界を驚かせた。この処理系は MS-DOS 上で製品化されて Prolog の普及に大きく貢献した。Successful pop や末尾再帰の最適化など高い安定した性能で黎明期のパソコン上のビジネスソフトの基礎言語としての展開も期待されたが、16ビットの整数しか持たず、浮動小数点数も扱えない仕様であったため、この分野への展開は起こらなかった。この点はアセンブラで記述されて簡単には拡張できない点が裏目に出た。結果としてこの仕様の乏しさが、日本のビジネスソフトが知識プログラミングの水準との間に横たわる分水嶺を越えることができなかった原因の一つとなった。

1990年代とISO標準規格

1990年代に入ると制約論理プログラミングが注目され処理系が多数誕生した。これは Prolog から見ると引数の論理変数間の関係(制約)を記述可能に拡張したものである。制約論理型言語は、変数評価に遅延実行などを持ち込むことが必要となるが、連立方程式をはじめとする多くの課題で Prolog より記述が柔軟になる。Prolog の組込述語には引数が変数で渡るとエラーとなるものが多く、このため Prolog プログラマは変数が具体化されるように副目標の記述順序に気を配る必要がある。結果としてプログラミングに逐次性が生じる。制約論理プログラミングにおいては、後に変数が具体化されたときに検査されるための変数の間の制約を記述するだけで、この逐次性の拘束を解決して通過することができる。実はこの制約はPrologから見ても自然な拡張であり、むしろ Prolog の単一化が制約論理プログラミングの制約を「=」のみに限定したものだと解釈することができる。しかし、簡素で逐次的な性格を強く持つ Prolog の処理系に慣れた利用者が、制約論理プログラミングの述語中に更に変数制約の宣言を追加しなくてはならない負担を、受け入れているとは言い難い。制約論理プログラム処理系が Prolog のそれに置き換わる気配は、2013年11月現在においてもない。

ISO の標準化作業は1987年頃から作業委員会(WG17[8])が作られ、日本委員も情報処理学会から15名ほどがこれに加わった。1995年 ISO標準規格がISO/IEC 13211-1 Prolog-Part 1: General Coreとして制定された。さらに、2000年にはISO/IEC 13211-2 Prolog-Part 2: Moduleとしてモジュール仕様が追加して規格化された。モジュール仕様については日本委員から、ICOTによって作成されたESP(Extended Self-contained Prolog)を以てその標準とする案が出されていたが、これは否決された。

ISO標準規格はエジンバラ仕様 DEC-10Prolog を基調に既に一家をなしていた Quintus Prolog など有力ベンダと主としてヨーロッパの学者を主体にこれに日本などの委員が参加して作成された。この規格は現在 Prolog 処理系の製作者に指針を与え、大きな逸脱を心理的に妨げる役割を果たしているが、組込述語の個々の仕様ではベンダの意向が強く反映されたものの、全体としては最初に述べた論理学的立場を尊重して保守的で極めて小さな仕様となっている。そのため多くの Prolog 処理系はこの規格の述語を搭載しつつ、独自の拡張部分を修正したり削除することに消極的である。結果として個々の処理系の互換性の乏しさは残り、それは Prolog の弱点として認識されている。

JIS規格も一旦は2001年にJIS X 3013:2001が、"標題 プログラム言語Prolog―第1部:基本部"が要約JISとして発行されたが、2012年1月に何ら実効を見ること無く、「周知としての目的は終了した」として廃止された。

人工知能ブームとProlog

日本において、ICOT の活動時期から1990年代前半に掛けては、いわゆる人工知能ブームの時期であり、人工知能研究への期待はこの時期再び異様に高まった。LISP マシンによる医療情報エキスパートシステムでの成果は、人工知能の研究の成果の一部は情報処理に於いても利用可能なのではないかとの夢を抱かせた。このような評価の中で Prolog は人工知能のアセンブリ言語的な位置づけを期待された。知識情報処理はこの水準の言語を基礎にその上側に築かれるべきだとの意味である。手っ取り早く利用可能な人工知能技術としてエキスパートシステムが選別され、これを支えるナレッジエンジニアの存在とそれを養成するための教育が必要とされた。Prolog はその中心に存在した。日本も例外ではないが、日本以外の国では特に、Prolog の名著は1990年代前半に刊行されている。これは、ICOT の活動とは若干のタイムラグがあるが、この時期社会的に 人工知能向き言語としての Prolog に大きな期待が寄せられていたことの証しである。エキスパートシステムはビジネス分野において広範囲に応用可能な基礎技術であったが、このような低水準な分野への適用はあまり試みられず、この分野からの Prolog 言語への要請はほとんど見られないまま終った。

機械翻訳などの自然言語処理もまた人工知能の一翼を担う分野であるが、歴史的経緯から人工知能ブーム以前から、この言語に最も期待が掛けられた分野であった。しかし、左再帰問題の回避でトップダウン解析の明解さをいきなり殺がれた。さらに句構造文法への適用においては、Prolog が得意とする、句構造に分解して意味に相当するグラフを形成することの他に、極めて膨大な辞書を構造体として定義する必要が展望された。この辞書作成は Prolog とは直接関係しないタスクであることから、次第に Prolog は句構造文法によるアプローチの前線から後退してしまった。統計的言語処理のアプローチでは、単一化等に多くの計算量を費やす Prolog は大量データを扱うのに不向きとされて、利用されることはほとんどない。自然言語処理のテキストの多くが Prolog を用いて解説されているにも関わらず、期待が大きかった割に実務的には、表面に現れている成果はIBM社のワトソン程度にとどまり、自然言語処理はむしろ Prolog 評価の足を引っ張る傾向にさえある。

ICOT以後の日本における衰退

日本においては、ICOT 解散後数年を経て、論理プログラミングと Prolog は急激に下火となる。先にあげたコワルスキの成果があまりにも完成されたものでその研究成果の範囲を越えることが難しかったこと、歴史的にプログラム言語でありながら論理学からの逸脱を厳しく制限され、自由なアイデアによるプログラミング言語としての発展・展開が困難に見えたことも研究者・技術者を離れさせた。そして、人工知能ブームもまた去って行った。企業等で続けられた研究開発も発表される機会がProlog産業応用シンポジウム(INAP)などに限定され、人々の目に Prolog の成果が触れることは極端に少なくなった。ICOT の多大な研究成果がネット上に閲覧可能な状態で置かれたが、Prolog 言語の処理系はインターネット時代の技術・流れに乗れず、初心者・初学者が利用するためのネット上での情報も他の有力言語に比べて少なく、新しい利用者を惹きつけることができなかった。パソコンのオペレーティングシステムとして Microsoft Windows が一般に普及し始めると、初心者教育にウィンドウの部品の展開を題材とするのに適したオブジェクト指向言語に人気が集中し、Prolog は動作の遅い外れた言語のイメージを持たれるようになる。さらに21世紀に入ると Prolog がクラス概念を持たないため、マイクロソフト社による .NET アーキテクチュアの共通言語基盤(CLR)の対象言語から外され、この傾向に拍車をかけた。ついには枯れた言語というニュアンスを含んでではあるが、「化石言語」と揶揄されるまでに至ったのである。

今日

盛時の勢いは失ったものの、Prolog は各教育機関で主として論理学の教材として利用され続け、今日まで数万人の人が Prolog の講座を受講している。実務的に利用される機会が少ないにも関わらず、その素養を持つ人が大量に存在するという特異な位置にあるプログラム言語となっている。また、多くのプログラミング言語でその言語上にPrologインタプリタを制作してみることが難度の高い学習課題の一つとして採用され、その結果としてもPrologを理解しているプログラマは増加する傾向がある。

  • 2011年夏 ブルース・A・テイト[注 6]著『7つの言語 7つの世界』が出版され、その7つの言語の一つとして Prolog が紹介されたことから、多くの人々の関心を呼び起こし、この言語は突然に息を吹き返した。ダニエル・ジャクソン[注 7]著『抽象によるソフトウェア設計』も翻訳されて述語論理に基礎を持つ形式記述言語 alloy が注目されるなど、Prolog に極めて親近した領域での議論がようやく活発になった。
  • 2012年 イワン・ブラトコ[注 8]著「Prolog Programming for Artificial Intelligence」の第四版が11年ぶりに刊行されて、人々に Prolog は今でも活火山的な存在であることを印象付けた。また、世界的に利用されているアプリケーション自動生成ツール GeneXusProlog によって書かれてからそれを他の利用言語に変換されて製品化されていることや、IBM 社のワトソンの根幹部分である言語解析部分と質問の生成部分を現在も Prolog が担っていることなどが次々と喧伝されて、応用面でも現役言語であることが改めて認識されつつある。さらに世界的な関数型言語への急激な関心の高まりによって、関数型言語と類縁性の高い論理型言語の盟主であり、人気関数型言語 Erlang の原像でもある Prolog への関心は再び強まってきた。
  • 2013年 IBMはワトソンの商用化を積極的に進めることとし、研究開発要員を2000名に増強することを発表した。さらに2014年秋、ソフトバンクとの間でワトソンの日本語化で提携することが発表された。ソフトバンクは既にADSLの故障診断をPrologで開発して利用してきた実績があり、既に公開され、2015年春出荷が予定されている感情認識パーソナルロボットPepperでも中核部にPrologを採用することが予想されている。同社がワトソンと強く結びつくことによって、Pepperが将来ワトソンから情報を受け取ることによって、どのように強化されて、変化していくのかということが俄然興味深い問題に浮上した。同時に、その二つのシステムに跨って、Prologがどのような関わりを持つのか、役割を担うのかということも注目されている。
  • 2021年8月4日に発表された"TIOBE Index for August 2021"で19位にランクされた。この指標は検索数や記事数などの指標であり、20位以内の復帰は2003年以来となる。世界的に話題性を取り戻しつつある証だろう。

今後

  • 2016年 FLOPS で Ki Yung Ahn と Andrea Vezzosi の論文 Executable Relational Specifications of Polymorphic Type Systems で Prolog による Let多相の型推論器が発表された。あまり話題にはなっていないが、昨今の型理論には一階述語論理が用いられており、型システムの実装実験において極めて簡略に記述出来るため、利用されていく可能性がある。
  • Prolog向けの集合論的型システムが実用化されれば、関数型言語学会において古くから用いられてきた数式をより形式的にできるようになるかもしれない。

注釈

  1. ^ : resolution、融合
  2. ^ : David H.D.Warren
  3. ^ W. F. Clocksin
  4. ^ : C. S. Mellish
  5. ^ : extended self-contained Prolog
  6. ^ : Bruce A. Tate
  7. ^ : Daniel Jackson
  8. ^ : Ivan Bratko

出典

  1. ^ Alain Colmerauer, Philippe Roussel. The birth of Prolog, p.2.
  2. ^ a b Robert Kowalski. The Early Years of Logic Programming, p.38.
  3. ^ Buss, Samuel R., "On Herbrand's Theorem".
  4. ^ Alain Colmerauer and Philippe Roussel, The birth of Prolog, p.6.
  5. ^ Alain Colmerauer and Philippe Roussel, The birth of Prolog, pp.14-15.
  6. ^ a b 古川 康一, p.5.
  7. ^ 萩野達也,桜川貴司,柴山悦哉
  8. ^ https://www.complang.tuwien.ac.at/ulrich/iso-prolog/SWI7_and_ISO
  9. ^ K-Prolog について”. 2020年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月11日閲覧。
  10. ^ https://www.researchgate.net/publication/277325585_Aspects_of_Prolog_history_Logic_Programming_and_Professional_Dynamics






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