P-47 (航空機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 00:41 UTC 版)
P-47Dと派生型
サンダーボルトの改良は続き、決定版となるP-47Dが誕生した。D型は12,602機も生産されたが、細かな改良が施されたサブタイプが多く、初期と末期の機体には明らかな違いが見られた。
最初期のP-47Dは、実質的にP-47Cであった。ロングアイランド ファーミンデールの工場では生産が追いつかなかったため、インディアナ州 エヴァンズヴィルに新たな工場が建てられ110機のP-47Dが作られたが、それらはP-47C-2と全く同じものだった。ファーミンデール工場製の機体には-RE、エヴァンズヴィル工場製の機体には-RAの記号が付けられていたが、本記事中では特に必要のない限りは記述しない。
P-47Dには2工場の片方だけで、あるいは両方で作られた多くのサブタイプがあった。小さな改修点が多いが、ここでは重要な部分のみを取り上げる。注:最後のサブタイプはP-47D-40だが、途中で番号が跳んでおり、40種類のサブタイプがあったわけではない。
P-47D-1 ~ D-11
P-47D-1 ~ D-6・D-10・D-11は以下のような改修を受けた型である:
- カウルフラップの増加 → 前線で多発していたオーバーヒートの解消に大きく寄与
- エンジン換装とエンジンサブシステムの改良
- 燃料・オイル・油圧システムの改良
- コクピットに装甲板を追加
P-47D-15
航続距離増大を要求する現場の声に答えたもので、以下の点が変更された:
- 胴体内燃料容量が、1,421 リットル (375 USG) へ増大(XP-47Bは1,155リットル (305 USG))
- 両翼下にもドロップタンク(投棄可能な燃料タンク)を搭載できるようになった(胴体下にはすでに搭載していた)
タイプ | 容量 (L) | 容量 (USG) |
---|---|---|
金属製 | ||
コンフォーマルタンク (初期型・フェリー用) |
758 | 200 |
扁平菱形(?)・胴体下 | 758 | 200 |
涙滴形・翼下 | 284 | 75 |
涙滴形・翼下 | 568 | 150 |
樹脂含浸紙製(英国が設計) | ||
胴体下? | 409 | 108 |
胴体下 | 758 | 200 |
燃料容量の増大により、P-47は敵地深くへの侵攻ミッションをこなせるようになった。P-47D-15は、機体外部に全部で1,130 kg (2,500 lb)のペイロードがあった。
P-47D-16 ~ D-23
P-47D-16・D-20・D-22・D-23はD-15によく似ていたが、以下のような改良がなされた:
- 燃料系統、エンジンサブシステムの改良
- 投棄可能なキャノピィ(上方の窓)
- 防弾型風防(前方の窓)
一方、直径3.71 mのカーチス製プロペラは、以下のより大きなプロペラへと換装された:
- ロングアイランド工場:直径4.01 mのハミルトンスタンダード製プロペラに
- エヴァンズヴィル工場:直径3.96 mのカーチス製プロペラに
XP-47Bの時から、プロペラ先端と地面とのクリアランス(間隔)は問題となっていた。より大きなプロペラになったことで、パイロットは離陸時、プロペラが地面を打たないように、充分な速度に達するまでは尾部を下げておくように気を付けなくてはならなくなった。
P-47G
リパブリックの2工場が生産を続けていたが、陸軍航空軍はサンダーボルトの供給が不足してると感じ、カーチスがニューヨーク州バッファローの工場でライセンス生産を行うことになった。ほとんどのカーチス製サンダーボルトは高等練習機として運用するために作られた。
カーチス製機は全てP-47Gの制式名称がつけられ、さらにCurtissをあらわす「-CU」が末尾に付けられた。最初のP-47G-1はP-47C-1と全く同じだった。その後のP-47G-5、G-10、G-15はP-47D-1、D-5、D-10と同じだった。カーチスは354機のP-47Gを生産した。
2機のP-47G-15がコクピットを主翼前縁付近まで延長してタンデム複座に改造され、TP-47Gと命名された。主燃料タンクを縮小して2人目の座席が設けられた。このダブルボルトは生産には至らなかったが、前線で同様の改修を受けたものがタクシー(高官を送迎する時などに用いる、高速連絡機)として使われた。
P-47D-25 ~ D-30
SI | ヤードポンド | |
---|---|---|
全幅 | 12.42m | 40ft 9in |
全長 | 11m | 36ft 1in |
全高 | 4.32m | 14ft 2in |
空虚重量 | 6,622kg | 14,600lbs |
運用重量 | 8,800kg | 19,400lbs |
最大速度 | 689km/h 高度9,144m |
428mph / 372kn 高度30,000ft |
実用上昇限度 | 12,192m | 40,000ft |
航続距離 (増槽×3) | 3,058km | 1,900mile |
この時点までに作られたP-47は、全てが胴体後部に連なった「レイザーバック」タイプのキャノピーだった。これは真後ろがよく見えないという、空中戦では致命的ともなりうる欠点があり、パイロットの批判の的となっていた。英国も自国の戦闘機に同様の問題を抱えており、スピットファイアには上方へ膨らんだ「マルコムフード」と呼ばれるタイプのキャノピーを考案、採用していた。多くのP-51が前線でこのキャノピーに換装しており、ごくわずかのP-47Dにも適用されていた。
しかし英軍はよりよい解決策を思いついていた。360度に渡って良好な視界を確保できる、「バブル(水滴形)」キャノピーをタイフーンの生産途中から採用したのだ。USAAFはこれを気に入り、P-51とP-47を含む米国製戦闘機にも迅速に適用した。1943年夏に、初のバブルキャノピー付きサンダーボルトができあがった。P-47D-5の最終号機を改造したこの機は、XP-47Kと名付けられた。
一方、別の旧式なP-47Dが胴体内燃料を1,402 リットル (370 USG)へ増大する改修を受け、XP-47Lと命名された。
燃料容量を増大させ、バブルキャノピーを備えたタイプが生産に入り、これらはP-47D-25とされた。この後P-47D-26・D-27・D-28・D-30のバブルキャノピー機が続く。改良点は以下の通り:
- エンジンの改修
- 燃料容量の更なる増加
- エアブレーキの追加
- その他細々とした改修
P-47D-40
P-47D-40はP-47Dの最終型であり、重要な改修が施された。
- ドーサルフィン
- バブルキャノピィにするために胴体後上部が削られ、これによってヨー軸(横に首を振る動きの向き)が不安定になっていた。そのため初期のバブルキャノピィ機には前線でドーサルフィン(背ビレ)が追加されていた。P-47D-40は当初からドーサルフィンを備えた形で生産された。これは垂直尾翼下部から前方のアンテナ支柱まで伸びる、細長い三角形の安定板である。
- ロケットランチャー
- 「ゼロ・レングス」と呼ばれる、従来の空気抵抗の大きい長大なタイプに代わる、HVAR(High Velocity Air Rocket、127 mm ロケット弾)用のコンパクトな新型発射器が両翼下に10基取り付けられた。
- K-14 照準装置
- 英国 フェランティ製 GGS Mark IID 演算・ジャイロ式ガンサイトをライセンス生産したもの。パイロットがあらかじめ想定機の翼幅と自機からの距離をダイヤルで設定しておくと、射撃のタイミングがわかるようになっていた。旋回や上昇・下降しながらの、弾道が曲がって見える射撃(見越し射撃)時には大きな助けとなった。
注釈
出典
- ^ Jerry Scutts著『P-47 Thunderbolt Aces of the Eighth Air Force (Osprey Aircraft of the Aces No 24, 英国Osprey Publishing刊 1998年10月)』では、「P-47の胴体形状が牛乳輸送缶(Milk jug)にそっくりであるから」と書かれており、他の理由として「力強い姿がJuggernautを連想させたから」とある。
- ^ 梅本弘 『第二次大戦の隼のエース』 大日本絵画、2010年8月、P.86
- ^ 『第二次大戦の隼のエース』 pp.94-95
- ^ 『第二次大戦の隼のエース』 p.97
- ^ 押尾一彦、野原茂『日本軍鹵獲機秘録』光人社、2002年、142頁。ISBN 978-4769810476。
- ^ F-47N Thunderbolt Specifications STANDARD AIRCRAFT CHARACTERISTICS
- ^ Propeller:CURTISS ELECTRIC C.S.、Blade:No.836-14C2-18-R1 (×4)、Diameter:13ft (3.96m)、Area:12.33m²
- ^ 陸軍航空軍 (USAAF = United States Army Air Force) は1947年に空軍 (USAF = United States Air Force) となった。
- ^ “NYハドソン川にサンダーボルト墜落 大戦中の米戦闘機”. 産経新聞. (2016年5月30日)
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