MaL 経歴

MaL

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 09:39 UTC 版)

経歴

1999年より、アカペラグループ「ChuChuChuFamily」に参加し活動を開始。テレビやライブなどに出演するも、ヒューマンビートボックスの性質上、当時はコメディアンとして扱われ、事実、吉本興業劇場NGKへの出演もしている。その後、音声模写ではなくパーカッショニストとしてのヒューマンビートボックスへ転身をはかり2003年に独立。タップダンス歌手DJMCダンサー民族楽器等のアーティストと共演し活動の幅を広げてゆく。この頃より、サーカス弘田三枝子らのアルバムレコーディングや、CM、映画音楽のレコーディングにも参加。

アメリカにてRockapellaのメンバーと新ユニットSWANK、自身のグループTribe of Grooversを立ち上げライブを行うなど、自身のスタイルを追求する活動を行う一方で、古澤巌稲本響のツアーメンバーを務めるなどクラシックアーティストとのコラボレーションも精力的に行う。結果的に、近年ではサントリーホール増上寺といったヒューマンビートボックスとしては異例な舞台での演奏を果たしている。

楽器を模写するのではなく、あくまでも自身を「音楽の一つのツール」として表現することにこだわり、2010年にはそれまでのヒューマンビートボックスというパート名を改め「Breath」としている。2012年にジャズ・ボーカリスト伊藤大輔と共にマイク2本だけを使ったライブを行うユニットPiece of Cakeを立ち上げた。「世界最小のアカペラユニット」と銘打ち、2103年4月には約80日間に及ぶ全国47都道府県完全制覇ツアー・海外公演も行った。このユニットではMaLは息担当と名乗ってはいるが、ボイスパーカッションと同時にベースラインやコーラスを歌うなど、このユニットでの演奏は独特であった。

出演作品

関係作品


  1. ^ a b WORKS”. SOUND THEATRE. 2017年4月2日閲覧。


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