1979年の阪急ブレーブス 1979年の阪急ブレーブスの概要

1979年の阪急ブレーブス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 01:46 UTC 版)

1979年の阪急ブレーブス
成績
プレーオフ敗退
パシフィック・リーグ2位
PO 0勝3敗(対近鉄
75勝44敗11分 勝率.630[1]
前期2位 39勝21敗5分
勝率.650[1]
後期優勝 36勝23敗6分
勝率.610[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場 阪急西宮球場
球団組織
オーナー 森薫
経営母体 阪急電鉄
監督 梶本隆夫
« 1978
1980 »

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1979年の阪急ブレーブスは、梶本隆夫監督の1年目のシーズンである。

概要

梶本監督1年目の前期は開幕6連勝と上々のスタートを切ったが、4月下旬から近鉄に引き離され、6月8日の時点で7ゲーム差を付けられた。ところがその翌日にチャーリー・マニエルが死球を受けて離脱したのを機に近鉄が急降下、その間に阪急が9連勝で急接近するが、近鉄が最終戦で優勝を決め前期は2位。後期は7月終了時点で唯一勝ち越して頭一つ抜け出すと、近鉄の8連敗もあり早々と独走状態。9月に近鉄が9連勝で2.5ゲーム差まで迫るが、10月5日に後期優勝を決めた。打撃陣ではこの年秀司から改名した加藤英司が絶好調で、三冠王も狙える勢いだったが、本塁打は8月に復帰したマニエルに抜かれ、結局首位打者と打点王の二冠に終わり、MVPもマニエルに奪われた。この年から打高投低傾向が強くなる中、投手陣は前年に腰を痛めた抑えの山口高志の不在を21勝で最多勝の山田久志を始め先発投手陣がカバー、64完投はリーグ最多で、チーム防御率が3.84とリーグ2位だった。パ・リーグ初の5連覇がかかったプレーオフは加藤英が無安打、ボビー・マルカーノも1安打でブレーキとなり、近鉄の山口哲治に抑えられ3連敗で敗退した。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー[2]
1 福本豊
2 簑田浩二
3 マルカーノ
4 加藤英司
5 島谷金二
6 高井保弘
7 ウイリアムス
8 中沢伸二
9 大橋穣
投手 山田久志
1979年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位 4月終了時 5月終了時 前期成績
1位 近鉄 -- 近鉄 -- 近鉄 --
2位 日本ハム 3.0 阪急 7.0 阪急 1.0
3位 阪急 3.5 日本ハム 7.5 日本ハム 6.0
4位 ロッテ 5.0 ロッテ 13.5 ロッテ 14.0
5位 南海 7.5 南海 15.0 南海 18.0
6位 西武 11.0 西武 23.0 西武 21.0
後期
順位 7月終了時 8月終了時 後期成績
1位 阪急 -- 阪急 -- 阪急 --
2位 日本ハム 3.5 ロッテ 3.5 近鉄 2.0
3位 南海 日本ハム 4.5 ロッテ 6.5
4位 ロッテ 4.0 近鉄 7.0 日本ハム 9.0
5位 近鉄 4.5 南海 7.5 西武 9.5
6位 西武 5.5 西武 10.5 南海 12.0
前期最終成績
順位 球団 勝率
優勝 近鉄バファローズ 39 19 7 .672 ---
2位 阪急ブレーブス 39 21 5 .650 1.0
3位 日本ハムファイターズ 34 26 5 .567 6.0
4位 ロッテオリオンズ 26 34 5 .433 14.0
5位 南海ホークス 23 39 3 .371 18.0
6位 西武ライオンズ 18 40 7 .310 21.0
後期最終成績
順位 球団 勝率
優勝 阪急ブレーブス 36 23 6 .610 ---
2位 近鉄バファローズ 35 26 4 .574 2.0
3位 ロッテオリオンズ 29 29 7 .500 6.5
4位 日本ハムファイターズ 29 34 2 .460 9.0
5位 西武ライオンズ 27 33 5 .450 9.5
6位 南海ホークス 23 34 8 .404 12.0


1979年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 近鉄バファローズ 74 45 11 .622 ---
2位 阪急ブレーブス 75 44 11 .630 -1.0
3位 日本ハムファイターズ 63 60 7 .512 13.0
4位 ロッテオリオンズ 55 63 12 .466 18.5
5位 南海ホークス 46 73 11 .387 28.0
6位 西武ライオンズ 45 73 12 .381 28.5

*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定


プレーオフ

1979年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月13日(土) 第1戦 阪急ブレーブス 1-5 近鉄バファローズ 大阪球場
10月14日(日) 第2戦 阪急ブレーブス 4-7 近鉄バファローズ
10月15日(月) 移動日
10月16日(火) 第3戦 近鉄バファローズ 2-1 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
年間優勝:近鉄バファローズ

オールスターゲーム1979

選出選手及びスタッフ
ポジション 名前 選出回数
投手 山田久志 8
今井雄太郎
三浦広之
捕手 中沢伸二 4
二塁手 マルカーノ 4
内野手 加藤英司 8
島谷金二 5
外野手 福本豊 9
  • 太字はファン投票で選ばれた選手。

  1. ^ a b 年度別成績 1979年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2015年9月22日閲覧。
  2. ^ 『読売新聞』1979年4月8日付朝刊、14版、16面
  3. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」147ページ
  4. ^ プロ野球10万号まであと「4」本 メモリアル弾には賞金100万円”. スポーツニッポン. 2017年9月29日閲覧。
  5. ^ 読売新聞1979年10月6日19面「阪急"土壇場アーチ"で後期優勝」読売新聞縮刷版1979年10月p225
  6. ^ 読売新聞1979年10月17日1面「『パ』近鉄が初優勝 球団創設30年目」読売新聞縮刷版1979年10月p583
  7. ^ 中日新聞社刊「中日ドラゴンズ70年史」86ページ
  8. ^ LEGEND OF Bs 2011 〜蘇る黄金の70's〜オリックス・バファローズ公式HP


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