高松市の再開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/18 03:29 UTC 版)
高松港頭地区総合整備事業(愛称:サンポート高松)
サンポート高松の愛称で知られるこの事業は、バブル経済期に香川県と高松市が主体となり、同最大の再開発事業として計画された。これは「瀬戸大橋開通による宇高連絡船の廃止で失われた高松港の拠点性の再興、国際化、情報化に対応した新都心づくり」を目的としている。計画以後バブル崩壊による資金難などで計画の縮小を重ねたが、2001年(平成13年)5月13日から一部供用が開始された。
2004年(平成16年)3月30日には核となる商業施設である「高松シンボルタワー」が開業した。しかし、県外企業の誘致に失敗し、県内企業の進出を促した結果、その大半が市中心部のテナントビルからの移転となった為、中心部のビル空室率が高い数字となってしまい、その将来性が危ぶまれている。また、一部の市民や議会議員からは「ムダな公共事業」と非難が噴出している。既存市街地の空室率の高さに対する対策や、用地の半分近くを占める空き地の利用など課題は多いものの、商業系店鋪の売り上げは好調である。
残る北側の空白部分については民間から開発するべく募集をかけているが2011年11月現在応募は1社もない。
瓦町駅周辺地区市街地再開発事業
高松空襲でも焼け残った十角堂がシンボルだった琴電瓦町駅にデパートを併設したコトデン瓦町ビルが建設され、1996年(平成8年)12月21日完成、そごうと琴電の合弁会社「コトデンそごう」が出店し、中心市街地活性化が望まれた。
だが、その後2000年8月にそごうグループが経営破綻したことがきっかけとなり2001年(平成13年)7月23日閉店。琴電も民事再生法適用というところまで経営が悪化した。
約2ヶ月後の9月1日、高松天満屋が後継テナントとして入居した。高松天満屋も2014年3月限りで閉店となったが、約1年半後の2015年10月23日に、専門店を集めた商業ビル「瓦町FLAG」としてリニューアルオープンし、商業施設として維持されることとなった。
現在でも駅前商店街などの衰退は目に余るが、中心部のビルとしての存在感や高層な建造物として目立ってはいる。
なお、栗林公園駅-高松築港駅間で琴電の高架化も計画されていたが、事業主体である県の財政悪化を理由に休止状態が続いた末、ついに2010年に計画は放棄された。
琴電片原町駅西地区再開発事業
かつて琴電片原町駅西側地区は、高松市の北部商業地区の拠点であり、商業活動が活発であった。しかし高度経済成長期以降、商業活動の沈静化や居住環境の悪化等が見られるようになった。そのため、それらのこの地区を取り巻く環境の変化に対応する市街地再開発事業が計画された。
全体の計画としては、商店街以北、香川県道159号高松港線以南、コトデン片原町駅以西、通称フェリー通り以東において地区を4つの街区に分け、商業施設や住居施設を建設するものである。先ず、第3街区(約0.4ha)において1997年2月、片原町駅西第3街区市街地再開発組合が設立され、2000年3月再開発ビルが着工し、2002年1月末に竣工した。第3区の再開発ビルは地上13階建て、建築面積約2,100m2、延べ床面積は約16,800m2で、9区画の商業・業務施設と94戸の住居で構成されており、1階-4階には高松市生涯学習センターも入居している。
- ^ 高松丸亀町商店街ホームページ内G街区のページ参照
- ^ “香川県の都市計画” (PDF). 香川県 (2007年11月). 2011年1月26日閲覧。
- ^ 太田第2土地区画整理事業について
- 1 高松市の再開発とは
- 2 高松市の再開発の概要
- 3 高松港頭地区総合整備事業(愛称:サンポート高松)
- 4 高松丸亀町商店街再開発事業
- 5 土地区画整理事業
- 6 脚注
- 高松市の再開発のページへのリンク