関西学院大学ファイターズ
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創成期
関西学院大学鎧球部(アメリカンフットボール部)が発足したのは、1941年2月のことである。初代監督である川井和男の尽力により防具等が準備され、部員20名を以て発足した。3月には同年創設された関西鎧球連盟に加盟する。5月には記念すべき初戦を同志社大学を迎え、関学グラウンドで行い、0-20で関学の敗戦に終わる。その年の11月の関大・同志社・関学・関西OBクラブの4チームによる秋季リーグ戦では同志社大学に20-13で公式戦初勝利を収める。関学は関西OBクラブにも勝利したものの、関西大学に敗れ2位に終わる。
1942年には甲子園南運動場で4大学対抗鎧球大会が開催され、関東2位の慶應義塾大学と対戦。初の関西以外のチームとの対戦となったが、0-20と惨敗した。また、5月(春季)と10月(秋季)に行われた関大・同志社・関学の3校によるリーグ戦はいずれも関西大学が優勝し、関学は2位(春季)、3位(秋季)に終わった。
第二次世界大戦が激しくなった1943年、アメリカンフットボールなどのスポーツは「敵性スポーツである」と批判を浴び、文部省の解散令により関学アメフト部は解散を余儀なくされた。結局、戦時中の関学は同志社大学から3勝を挙げたが、関西大学には手も足も出ず、1勝も出来なかった。
戦後の関学
1946年にアメリカンフットボール部が再結成され、関西米式蹴球連盟設立に参加する。4月に行われた、OBも含めた全関大、全同志社による戦後初のリーグ戦は、全関大に敗れ2位に終わる。現役学生のみとなった秋季リーグ戦は、関西大学に公式戦初勝利を挙げるものの同志社大学と引き分け同率1位となった。その後、優勝決定のプレーオフでも0-0と再び引き分け、2度目のプレーオフで7-2と同志社大学に敗れたため、リーグ初代王者とはならなかった。
1948年には関西大学とリーグ戦で引き分け、同率1位となったがプレーオフで敗れ、甲子園ボウル初出場は逃がした。
1949年は、ともに初の甲子園ボウル出場を目指す京都大学と優勝を争う。関学は京大戦に逆転勝利した勢いで、全勝で初の単独優勝を果たす。その後、初出場した甲子園ボウルでは、慶應義塾大学を下し初優勝を飾った。
黄金時代到来
1949年に甲子園ボウル初優勝を達成して以降、1982年に京大に敗れ甲子園ボウル出場を逃がすまでの33年間、関学は大学日本一を決める甲子園ボウルに出場し続けた。この黄金時代を作り上げた要因の一つ目として、1949年の関西学院中学部・高等部におけるタッチフットボール部の創設が挙げられる。これにより関学は他校に先駆けて中学・高校・大学の10年間のフットボール一貫教育を実現した。1951年に大学監督に就任した米田満は、中学部、高等部の監督も兼務することでその基礎を築いた。
二つ目の要因は、アメリカの最先端のフットボール理論をチームに導入したことである。1966年にヘッドコーチに就任した武田建は、長期の米国留学で学んだ理論をチームに導入し、甲子園ボウル5年連続優勝(1972-1976)を達成した。後に監督を務めた伊角富三、広瀬慶次郎や鳥内秀晃(前監督)も米国にコーチ留学する等それに続いた。
関学の黄金時代には、以下のような大記録が達成されている。いずれの記録も当面破られることが無い記録ばかりである。
34年連続リーグ優勝(1948-1981)
1948年は関西大学と2校同時優勝するがプレーオフに敗れ、甲子園ボウル出場は逃がしているが、リーグ戦の優勝記録としては、34年連続優勝となる。また、1976年には京都大学と、1979年には同志社大学と、1980年には近畿大学と2校同時優勝となるが、いずれもプレーオフに勝利し甲子園ボウルに出場している。ちなみに連続リーグ優勝記録の第2位は、立命館大学の4年連続(2002-2005)である。なお、関学はリーグ1位となる通算51回の優勝を達成している(2012年1月時点)。
33年連続甲子園ボウル出場(1949-1981)
1982年に京都大学が甲子園ボウル出場を決めた時に言われた「関学の連続優勝記録は33でストップ」は、関学の甲子園ボウル出場が33年連続で途絶えたことを意味する(リーグ優勝は上述のように34年連続である)。また、この記録には、1976年・1979年・1980年の2校同時優勝・プレーオフ勝利による出場(上述)が含まれる。これまた空前絶後の記録であり、連続出場記録の第2位は、立命館大学の4年連続(2002-2005)である。
リーグ戦145連勝(1948-1976)
リーグ戦の連勝記録は、2勝1分で関大と同率優勝となった1948年から始まっていることに留意する必要がある(プレーオフの成績は含まれない)。この連勝記録の中には、1955年から1961年にかけての27戦連続無失点勝利が含まれている。1976年に京大が21-0で勝利し連勝をストップさせたことで、関京戦におけるライバル関係が決定付けられた。しかし、前述したように関学の甲子園ボウル連続出場が途絶えるのは、それから6年後の1982年である。リーグ戦連勝記録の第2位は、関学の25連勝(1999-2002)である。
甲子園ボウル5年連続優勝(1972-1976)
関西学生リーグでは連続優勝を続けた関学であるが、甲子園ボウルでは、1953年から1956年にかけて引分けによる両校優勝(1955年対日本大学)を挟んで3連覇した後、1957年から1966年まで同じく1965年の両校優勝(対日本大学)を挟んで、日本大学、立教大学相手に9連敗を喫している。しかし、1972年から1976年には、明治大学、日本大学相手に5年連続優勝を達成した。これは甲子園ボウル史上初の快挙であった。
また、2018年から2022年には法政大学、日本大学、早稲田大学相手に年連続優勝を達成した。これは甲子園ボウル連続優勝記録タイである。
関学は2012年の甲子園ボウルにて、通算21回の単独優勝を決めたが、これは単独優勝が通算18回の日本大学を上回っている他、出場回数47回、および両校優勝となる引分けを含めた通算25回の優勝は、いずれも単独1位の記録となっている。
- ^ 『日本大学の選手による試合中の重大な反則行為について』(プレスリリース)一般社団法人 関東学生アメリカンフットボール連盟、2018年5月10日 。2018年5月12日閲覧。
- ^ 『本学選手による試合中の重大な反則行為について』(プレスリリース)日本大学保健体育審議会 アメリカンフットボール部PHOENIX オフィシャルWEBサイト、2018年5月10日 。2018年5月12日閲覧。
- ^ 『日本大学との第51回定期戦における日本大学選手による反則行為について』(プレスリリース)関西学院大学体育会アメリカンフットボール部、2018年5月12日 。2018年5月12日閲覧。
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