荘公贖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/09 08:48 UTC 版)
Jump to navigation Jump to search荘公 姜贖 | |
---|---|
斉 | |
第12代公 | |
王朝 | 斉 |
在位期間 | 前794年 - 前731年 |
都城 | 臨淄 |
姓・諱 | 姜贖 |
諡号 | 荘公 |
生年 | 不詳 |
没年 | 前731年 |
父 | 成公 |
生涯
成公の子として生まれる。
成公9年(前795年)、成公が薨去したため、子の贖が立って斉君となった[2](以降は「荘公」と表記する)。
『史記』には成公在位中の記事として、以下の2つの出来事を記す。荘公24年(前771年)、周の幽王が犬戎(けんじゅう)[3]に殺され、周は都を東の雒(らく)[4]に遷した[2]。荘公24年(前739年)に晋の昭侯が臣下に殺害された[2]。
荘公64年(前731年)、荘公が薨去し、子の禄甫(ろくほ)が立って斉君(釐公)となる[2]。
史料
- ウィキソースに以下の原文があります。
参考文献
|
- 1 荘公贖とは
- 2 荘公贖の概要
固有名詞の分類
- 荘公贖のページへのリンク