茨田弓束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 05:17 UTC 版)
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聖武朝の天平17年(745年)正月、無位から外従五位下に昇叙したとあるのが、史料における初見。この時「宿禰」とあるが、後述の記述で宿禰姓を授けられたとあるので、無姓であったものと思われる[1]。
天平19年(747年)6月、一族の従八位下の茨田枚野とともに宿禰姓を授けられる[2]。
孝謙朝の天平勝宝元年(749年)10月、天皇は河内国智識寺に行幸し、弓束の宅を行宮とした[3]。その行幸の折に、弓束は正五位上を与えられた[4]。
その後の動静は不明である。
官歴
『続日本紀』による。
脚注
参考文献
- 『続日本紀』3新日本古典文学大系14 岩波書店、1992年
- 宇治谷孟訳『続日本紀(中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
- 『日本古代人名辞典』6 - p1639、竹内理三・山田英雄・平野邦雄編、吉川弘文館、1973年
- 1 茨田弓束とは
- 2 茨田弓束の概要
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