石橋氏 福岡の石橋氏(肥前石橋氏)

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石橋氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/20 10:07 UTC 版)

福岡の石橋氏(肥前石橋氏)

福岡県八女市医師石橋正良宅に伝わる『石橋氏系図』によると、八女地方の石橋一族は、清和源氏と称した肥前出身の武士豊後大友氏の支族である筑後国下田城主堤貞元の重臣石橋右衛門盛清(慶長6年没)が天正年間(1573年から1593年)に、筑後国生葉郡星野村に定住したのがはじまりである。医業は盛清の3代目にあたる作右衛門教清が寛永年間(1624年から1643年)に起こし、爾来、分家新立によって石橋医家の繁栄がもたらされた。森鷗外との「舞姫論争」など、明治の文芸評論家として注目を集めた弁護士石橋忍月はこの流れを汲む。

脚注

参考文献

  • 遠藤巌「石橋氏」今谷明ほか編 『室町幕府守護職家事典 上下巻』(新人物往来社1988年
  • 谷口雄太「都鄙における御一家石橋氏の動向」『中世足利氏の血統と権威』吉川弘文館、2019年11月、63-85頁。ISBN 978-4-642-02958-2 (初出は『中世政治社会論叢 村井章介先生退職記念』東京大学日本史学研究紀要別冊、2010年。)
  • 谷口雄太『足利将軍と御三家 吉良・石橋・渋川氏』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー559〉、2022年11月1日。ISBN 978-4-642-05959-6 

外部リンク


注釈

  1. ^ 永享3年3月30日条・5月16日条・5月24日条

出典

  1. ^ 谷口 2019, pp. 67–69.
  2. ^ 谷口 2019, pp. 67–71.
  3. ^ 谷口 2019, pp. 70–71.
  4. ^ 谷口 2019, pp. 73–79.
  5. ^ 谷口 2019, pp. 74・80.
  6. ^ 谷口 2022, p. 155.
  7. ^ 谷口 2022, p. 31.
  8. ^ 谷口 2022, pp. 141–142.
  9. ^ 谷口 2022, p. 145.


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