発火法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 03:14 UTC 版)
引火、燃えさし、火種
可燃物を加熱して引火点を超えれば自然発火する。また別の火が既に燃えていれば、火を引火点が低い可燃物に移すことができる[6]。この火を起こすための火を火種と呼ぶ。
引火させる方法として、以前に燃やした時の残り火、燃えさし(英語:ember)を利用する方法がある。灰をかぶせたり穴が適度に開いた容器に入れて酸素量を調整して消火しない程度に燃え続ける状態を維持する手法は、紀元前3300年頃の遺体アイスマンの持ち物からも発見されている[7]。
火の拡大
火口に点火されると、その炎をより熱量の大きな可燃物に移して適切な大きさにする必要がある。火口の次には、着火しやすい乾燥した焚き付けに火を移し、徐々に細いものから太いものへと移す。
小さい炎では、それが大きな炎を作るために必要な量の可燃性ガスを放出させるのに必要な量の燃料を熱することができない。このため、ゆっくりと燃料の大きさを増やしていくことが重要である。
また、炎をガスから吹き払ったり、燃料を冷やし過ぎたりしないような方法で、十分な酸素を供給するために適当な量の気流を確保することも重要である。
炎が十分な大きさに成長すれば、多少の水分や樹液を含んだ木材を燃料として供給しても火は消えない。木材に含まれる水分は、炎の発する熱で沸騰・蒸発してしまうためである。
雨天など湿った天候であっても、丸太を割って含水率の低い部分を使用することなどによって、ある程度燃えやすい燃料を得ることができる。
文化
出雲国を支配した国造である出雲国造は、代替わりの際に神火相続式という燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりきね)を携えて、熊野大社に参向して、それらで発火させた火を用いて料理を行い食事をする儀式を行う。
神道においては忌火、鑽火神事などの儀式が行われる。
明治期の日本において、外出時に火打石と火打ち金を打ち鳴らし、清めと厄払いを行う切り火、鑽火(きりび)という儀式が行われた。これはマッチの普及で消費が低迷した火打ち石の団体が宣伝した結果である[8]。
ヤマトタケルが東征の折、土地の豪族よって枯れ野に誘い込まれ、風上から火を放たれた。ヤマトタケルはとっさに剣で草を刈って防火帯を作り、火打石で迎え火を起こして窮地を逃れた。この故事にちなみ、土地の名を「焼津」、剣を「草薙剣」と称したという[9]。
関連書籍
- 山田仁史「発火法と火の起源神話」(『東北宗教学』2号、2006年所収)
- ^ a b 山田仁史「発火法と火の起源神話」『東北宗教学』第2巻、東北大学大学院文学研究科宗教学研究室、2006年、183-200[含 英語文要旨]、ISSN 18810187、NAID 120002511902、2020年9月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “火起こしの方法と発火の原理”. 国立吉備青少年自然の家. 2020年3月18日閲覧。
- ^ 縄文晩期の「火きり臼」石川・真脇遺跡から出土『日本経済新聞』朝刊2月24日(社会面)
- ^ 古代体験マニュアル Vol.3「火おこしに挑戦!」 島根県教育庁埋蔵文化財調査センター、2002年3月。
- ^ 「怪獣アイテム豆辞典」『東宝編 日本特撮映画図鑑 BEST54』特別監修 川北紘一、成美堂出版〈SEIBIDO MOOK〉、1999年2月20日、150頁。ISBN 4-415-09405-8。
- ^ 引火コトバンク
- ^ アイスマンを解凍せよ キャプション:カエデの葉は、火の燃えさしを包むためのもの。 雑誌:ナショナル ジオグラフィック日本版 2011年11月号
- ^ アレをやり始めたのは私です! 著者: 素朴な疑問探究会
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2017年5月21日). “ヤマトタケルの火打石を探せ 南伊勢・度会町で伝承文化訪ねるツアー”. 産経ニュース. 2022年7月6日閲覧。
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