心霊主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/28 01:32 UTC 版)
心霊ブームという契機
ハイズヴィル事件
心霊主義(スピリチュアリズム)、心霊ブームは、1848年のフォックス姉妹によるハイズヴィル事件[27]が大きな契機となった。この事件の当事者フォックス姉妹の姉マーガレットは、40年後にこの事件はインチキであり、ラップ音は膝関節を脱臼させて出していたと告白しているが[28]、告白当時マーガレットは金銭的に困窮しており、更にのちにインチキという告白自体を否定している。事件の真実については様々な見解があるが[29]、当時社会的な影響が絶大であったことに疑いはない。
知られている事件の内容は次の通りである。ニューヨーク郊外ハイズヴィルに、メソジストの農夫ジョン・フォックス(John Fox)一家が引っ越してきた。間もなくフォックス家の姉妹マーガレット(Margaret、15歳)とケイト(Kate、12歳)は、家で原因不明の不思議な物音(ラップ音、叩音)がするというポルターガイスト現象を体験した。母親が子どもの年齢などを質問すると、ラップ音によって回答があり、ラップ音は死者の霊の仕業であり、姉妹は音によって霊と交信できるようになったとされている。名古屋大学の吉村正和は、ハイズヴィル事件での音による霊との交信は、その数年前の電信機の発明と普及による、「情報が瞬時に遠方に伝わる」という衝撃的体験の影響があり、電信技術の発想を精神世界に応用したものであると指摘している[10]。死者との交信がコツコツ・トントンというモールス信号のような音で行われたことがそうした事情を物語っているという[10]。
この事件の噂は広まり、心配した両親はケイトをニューヨーク州オーバーンに、マーガレットを結婚してロチェスターに住む一番上の姉リア(Leah、20代半ば)に預けた[13]。リアはロチェスターで音楽教室を経営していたが、妹たちの心霊現象の噂で生徒を失ったため、マーガレットを霊媒として交霊会を行うようになり、マーガレットが起こす心霊現象を調査する委員会を組織した[13]。姉のリアによるマネージメントでマーガレットは霊媒として活躍し、やがてニューヨーク市の見世物興行で当時有名だったバーナム・ミュージアム(Barnum's American Museum)でも交霊会・心霊現象の興行を行なうようなった[13]。交霊会の興業は、天才的山師・プロデューサーのP・T・バーナムが担当した[30]。ペテンだと抗議する声も大きかったが、大成功に終わり、むしろ抗議が宣伝の役割を果たし、霊との交信という奇跡を信じる人は増えた。参加費は高額の設定であったにもかかわらず、交霊会にはあらゆる階級の人が押しかけた。フォックス姉妹はニューヨークに活動拠点を移し、2か月にわたって交霊会を開催し、霊媒としての地位を確立した。参加者は最近親しい人を亡くし悲しむ人などが多く、交霊会で実際に死者との心の交流を体験し、死を次の生への通過点と見なすことで、心の慰めを得ていた[10]。
吉村正和は、姉妹は現代における精神分析のカウンセラーのような機能を果たしていたと述べている[10]。なお、ハイズヴィル事件においてフォックス姉妹をサポートしたのは、奴隷制廃止運動で活躍している急進派クエーカーの夫婦だった。キリスト教の新興宗派と心霊主義は、千年王国思想、ユートピア思想という思想的共通点によって結びついていたのである[13]。
霊との交信方法も、ラップ音からアルファベットを使用する方法、トランス状態での自動筆記、楽器がなったり机が動いたり、霊そのものが現れ(物質化現象)参加者の髪をひっぱるなど、交霊会での心霊現象もエスカレートしていった[28]。
ハイズヴィル事件以降
フォックス姉妹以外の霊媒も登場し、あっという間に全米を心霊ブームが席巻した[28]。心霊主義は難解な教義を持たず、誰にでも参加することができた。霊媒の多くが女性だったため、フェミニズム関係者からの支持もあり、霊媒に美女が多かったことから、男性の支持も得た[30]。1855年にはアメリカだけでおよそ100万人が心霊主義を受け入れており、貴族や企業家などの上・中流階級、作家や科学者などの知識人といった社会的エリートも多く含まれていた[29]。美女霊媒で人気を集めた交霊会は、マジックのような見世物ショーになっていった[30]。
1840年代には大西洋を横断する巨大蒸気船が運航し、アメリカの情報はほぼ同時にヨーロッパにもたらされ、人の交流もそれまでとは比べ物にならないほど盛んになった[10]。アメリカの霊媒が続々とヨーロッパに渡っていき、霊媒による交霊会や心霊現象という心霊ブームは、ヨーロッパにも広がっていった[10]。
中でもイギリスでは、階級を問わず広く社会現象となった。心霊主義の流行は、完成された共同体、世俗的千年王国の到来を告げるものとしても受け入れられた。イギリスの社会改革家でユートピア的共同体を作ったロバート・オウエン(1771 - 1858)は、伝統宗教が自分の宗教以外の人々への偏見を育てると考え全ての宗教を否定したが、1853年に心霊主義に帰依した[10]。オウエンは、友人でフリーメイソンの指導者であったケント公エドワードやジェファーソン大統領の霊との交流で、社会改革に関する重要な指針を得たと語り、心霊を「長い間待ち望んでいた千年王国の先触れ」と見なしていた[10]。その息子で駐ナポリ公使であったロバート・ディル・オウエンは、霊のメッセージが現れる自動筆記を体験して、1860年に『別世界の境界の足音』を出版、英米で心霊主義を単なる流行ではなく思想として浸透させた[10]。1871年の著作では、心霊主義を偽りのない真の現象であると主張しており、心霊主義はこの時点で、社会的身分の高い人物によって一種のお墨付きを得たことになる[10]。
心霊主義はイギリスからフランスにも飛び火した。南米にも伝わり、1853年のブラジルのリオデジャネイロの新聞に心霊主義の記事が掲載され、翌月には市内の富裕層が娯楽として楽しむようになった[31]。
こうした19世紀半ばから19世紀末の心霊ブーム、その思想と実践およびその周辺は、心霊主義(スピリチュアリズム)のはじまりとなり、今世紀にかけて世界的に大きな影響力を持った[28]。
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