平郡島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/22 15:09 UTC 版)
地理
急斜面が多く段々畑が山の上まで続いている。集落は東と西に分かれて存在し、船はそれぞれの港へ寄航する。公道は北側のみで二つの集落を繋いでいる。南面は細い農道。中央部は標高450〜470mからなる深山でキジなどが生息する野性的な森林になっている。段々畑は少子高齢化により大半が休耕地であって薮化しているが、畜産による修景が昨今試みられ始めている。周囲の海は豊かな藻場を形成し、磯では海藻の収穫や、沖合いは遊漁もできる穏やかな漁場である。
歴史
へいぐんそん 平郡村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年5月1日 |
廃止理由 |
新設合併 柳井市、平郡村 → 柳井市 |
現在の自治体 | 柳井市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 |
中国地方 中国・四国地方 |
都道府県 | 山口県 |
郡 | 大島郡 |
総人口 |
3,695人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 柳井市(航路を介して) |
平郡村役場 | |
所在地 | 山口県大島郡平郡村 |
座標 | 北緯33度46分46.2秒 東経132度15分32.7秒 / 北緯33.779500度 東経132.259083度 |
ウィキプロジェクト |
- 幕末 - 「旧高旧領取調帳」の記載によると山口藩領。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により山口県の管轄となる。
- 1873年(明治6年) - 大区小区制の施行により第一大区第四小区の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、平郡島が単独で自治体を形成して平郡村となる。
- 1954年(昭和29年)5月1日 - 平郡村が柳井市に編入。同日平郡村廃止。同市平郡となる。
教育
島にある柳井市立平郡東小学校は、児童がいなくなり2003年度から休校していたが、2012年に新1年生が入学し9年ぶりに再開された。2013年度にも新1年生が1人入学、さらに5月に1人転入し全校生徒は2年生1人、1年生2人の計3人になっている。(2018年現在、在籍児童は5人)
固有名詞の分類
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