岩城隆喜 生涯

岩城隆喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 00:29 UTC 版)

生涯

寛政3年(1791年)11月2日、7代藩主・岩城隆恕の長男として生まれる。

寛政12年(1800年)5月13日、父・隆恕の嫡子となる。文化4年(1807年)2月22日、江戸幕府11代将軍徳川家斉に御目見をする。文化14年(1817年)7月13日、隆恕の死去により家督を継いだ[1]。同年12月16日、従五位下・伊予守に叙任する[1]天保元年(1831年)5月21日、オランダ人に地図を提供した咎で捕縛された長崎大通詞・馬場為八郎、小通詞・稲部市五郎、吉雄忠次郎の身柄を、幕府の命を受け佐竹義純前田利和と共に預かる[2]

弘化元年(1844年)、駿府加番を命じられる。嘉永5年(1852年)12月27日、大和国柳本藩主・織田信陽と共に家格を城主格に上げられる[1][3]

嘉永6年12月9日(1854年)死去。享年63。隆喜の死後、四男・隆永から隆信隆政隆邦と4兄弟が相次いで家督を継ぐことになる。

系譜

子女は8男18女

父母

正室、継室

側室

  • 千勢、恵鏡院
  • 菊瀬、松雲院

子女


  1. ^ a b c d e 『亀田岩城家譜』[要文献特定詳細情報]
  2. ^ 『内廻状留[要文献特定詳細情報]
  3. ^ 『嘉永録』[要文献特定詳細情報]


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