家族そろって歌合戦 テーマソング

家族そろって歌合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 09:41 UTC 版)

テーマソング

作詞:不明 / 作曲:小川寛興 / 歌:ベニーシスターズ、パピーズなど(初期・中期) → アパッチ(1979年10月 - 最終回)

  • オープニングでは1番が、エンディングでは2番が歌われた。
  • ベニー時代はマーチテンポだったが、アパッチ時代は一部アレンジされた。
  • なお、13:15開始時代末期(時期不詳)には、これとは別のオープニングテーマがてんや・わんやと女性アシスタントによって歌われ、てんや・わんや・アシスタントの3人を模したパペットがその歌に合わせて踊るオープニングがあった。

ルールと賞品

毎週8チーム(1チーム3人)計24人(末期には6チーム、計18人)の家族が出場。トーナメント方式で行われていた。

1回戦と決勝では、チーム全員でステージ中央にあるスタンドマイクで歌う。準決勝は各チーム1人ずつ(放送時間が1時間となった末期は1人がソロ・残り2人はデュエット)がハンドマイクで歌う。どちらも歌が終わったところで審査員が投票し、演奏ジングルと同時にトーナメントパネル[10]の動物が上昇し、残った方のチームが上位に進出となる。

決勝戦では1回戦と同じ形式で歌う。その後、てんや・わんやが「お待ちどう様でした。さあ、いよいよ優勝チームの発表です!審査員の皆さん、スイッチをどうぞ!」と言い、投票と同時にドラムロールと共に動物が上昇し[11]、残った方が優勝。迫力のあるファンファーレが鳴った。優勝家族は表彰台に(末期にはファミリー賞、最末期では準優勝の家族も)立ち(わんやが「表彰台に上がっていただきます」と言う)、豪華景品が贈呈された(末期にはてんやからトロフィーも授与)[12]。賞金もあった。

また、ゲスト2人が決めるファミリー賞(賞品はスポンサーのパロマ、東鳩製菓(現・東ハト) → 田中貴金属工業カゴメメナード化粧品大塚化学大塚食品) → セキスイハウス(積水ハウス)の商品[12])もある。最末期には歌唱賞を1人選び、該当者にはてんやが盾を贈っていた。参加賞は出場者の写真とてんや・わんや、女性アシスタント、審査員のサインが入った額縁(最末期にはアルバム)である。

補足

  • 初期には審査員がどちらのチームに投票したかを審査員が自ら告げていたが、中期頃[いつ?]からは審査員席の上にランプが設けられ、誰がどのチームに投票したか分かるようになった。
  • 末期にはトーナメントパネルが新調されたと同時に、ステージのスタンドマイクの両脇に白いバーが設置され、アシスタントが動物のプラカードをはめ込むと審査結果時にトーナメントパネルと同じく動物が上昇、残った方のチームが勝ち抜けであることが観客にも判るようになっていた。
  • 8チーム制時代の準決勝は、勝ち上がった4チームが1対1の対戦を2回行う方式だったが、6チーム制時代には3チームが1対1対1の対戦を1回行い、全審査員が入れた票数の多かった2チームが決勝進出となる方式に変更された。なお、この時は動物上昇の演出は省かれた。

その他

この番組に出演したのがきっかけでスカウトされ、プロの歌手としてデビューしたのがやまがたすみこ倉田まり子である。また、ヴァイオリニストの悠情は、小学生のときに父・従妹とともに本番組(1978年8月27日放送、愛知県安城市大会でCBCが製作著作)に出場し、優勝を果たしている。その回のゲストは石川さゆりと鈴木隆夫だった。

2001年発刊の『TBS50年史』に付属のDVDには、神奈川県茅ヶ崎市で収録され、千昌夫小野由紀子がゲスト出演した回が収録されている。放送日は不明だが、マイク横に動物パネル上昇用レールが置かれ、さらにレギュラー審査員が市川・笠置・神津・五十嵐・阿部だったことから末期と考えられる。

この番組に出演したのがきっかけで、てんや・わんやは旅行貯金を始めた。各地の公開収録の都度郵便局に寄っては収録地の記録を残していた。


  1. ^ a b c 朝日新聞西部版 1980年3月30日付朝刊 P.24 テレビ欄。但し、同日の同新聞東京版朝刊 P.24 テレビ欄のTBSテレビの番組表には、ステレオ放送マークの記載はなし。(いずれも、朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  2. ^ a b 朝日新聞東京版 1970年4月5日付朝刊 P.11 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  3. ^ 週刊TVガイド 1980年11月28日号「REPORT・年内で終止符。長寿の『家族そろって歌合戦』」
  4. ^ RKB毎日放送株式会社50年史編纂委員会 編纂『九州・福岡RKB放送史事典 : RKB毎日放送創立50年記念』RKB毎日放送、2001年、127頁。 
  5. ^ 福島民報』福島民報社、1974年2月15日。 
  6. ^ 『福島民報』福島民報社、1970年5月30日。 
  7. ^ 『福島民報』福島民報社、1972年10月12日。 
  8. ^ 『福島民報』福島民報社、1974年8月6日。 
  9. ^ 阿部進プロフィール”. 創造教育センター. 2004年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月17日閲覧。
  10. ^ 背景には「山」が描かれており、「優勝」の部分には王冠が描かれていた。そして1回戦前にアシスタントが対戦を発表した後、てんやが「あの動物さんがお山の上を登りまして、王冠を被った組が優勝と、こういう事になっております」と毎回説明していた。なお、6チーム制時代には対戦説明は簡略化され、てんやの説明も省かれた。
  11. ^ 優勝ファンファーレと同時に動物が上昇するパターンも稀にあった。
  12. ^ a b スポンサーではなかったが日本コロムビアの協賛があり、優勝者に電子ピアノ(末期においては、コロムビアの親会社・日立のVHSビデオデッキが贈呈されていた時期もあり)、その他入賞家族にステレオセットやてんとう虫をあしらったレコードプレーヤーなどが贈呈されていた。
  13. ^ 1975年3月まではJNNには番販で参加していたため、TBS系列の番組も当初から相当数放送し、制作も担当していた。
  14. ^ 『福島テレビ20年史』福島テレビ、1983年12月25日、27頁。NDLJP:12276183/31 
  15. ^ 1971年9月までのフジテレビ系列局は福島中央テレビ(現在は日本テレビ系列)だった。
  16. ^ 自社製作の際には、全国ネット番組ながら他の製作局に準じ、「中部日本放送」ではなく「CBC」とクレジットしていた。
  17. ^ 全国高等学校野球選手権大会の開催時、準決勝・決勝と日曜日が重なった場合には大会の中継を優先させたため、本番組は放送休止となった。
  18. ^ 例として、CBC製作の回では、オープニングのテロップをクロスフェード(前のテロップが消えると同時に次のテロップを出す)で送出していた。


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