四柱推命 沿革

四柱推命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 16:19 UTC 版)

沿革

四柱推命の起源は紀元前1400-1300年頃の中国 殷代での「甲骨文」と呼ばれる物であり、六十干支を使って月日を表していた[1][2]

1100年代、南宋の徐居易(徐子平)の書が文献考証的に四柱推命自体の最古となるため、徐子平が命学の祖といわれている(一説には、命理の始まりは、戦国時代(紀元前400年~ 200年頃)の蘭台御史(天子の秘書官)の珞琭子であるとされている[要出典])。続いて1200年代に徐大升により『淵海子平』(えんかいしへい)という書が著され、1368年頃、の軍師・政治家であった劉基(劉伯温)が『滴天髄』(てきてんずい)という書を著したとされている。以下、四柱推命に関する主な著作を列記する。

年代 時代 書名 著者
1500 明代 『神峯通考・命理正宗』 張神峯(張楠)
『三命通會』 萬民英(萬育吾)
1600 清代 『命理約言』 陳素庵
『滴天髓輯要』
1700 『子平眞詮』 沈孝瞻(ちん・こうせん)
1800 『滴天髓闡微』 任鉄樵(にん・てっしょう、1763年-1838年頃)
『星平會海全書』 星曜系(占星術)と干支系(子平)の占術に関する文献を
集成した百科全書。武當山月金山人霞陽水中龍編集
1900 清末から 『命理探原』 袁樹珊(えん・じゅさん、1881年-1968年?)
中華民国 『新命理探原』
『子平粹言』 徐楽吾(じょ・らくご、1886年-1948年)
『古今名人命鑑』
『造化元鑰評註』
『滴天髄徴義』
『原本子平眞詮評註』
『滴天髓補註』
『窮通寶鑑』
『命理一得』
『命學講義』 韋千里(1911年-生没不明)
『呱呱集』
『命理新論』 呉俊民(ご・しゅんみん)
『達人命理通鑑』 尤達人(ゆう・たつじん)

以上のように、近年では、清代末の辛亥革命前後の時代に活躍した徐楽吾の著作がその数において突出しているため、日本にも大きな影響を及ぼしている。ただし、徐楽吾の論が正しいかどうかについては意見が分かれている。

日本には江戸時代中期に移入された。文政年間、仙台藩の儒学者桜田虎門が『推命書』という名称で『淵海子平』の訳本を出したのが、考証的に最古の書である。しかし桜田虎門は四柱推命に対する専門知識がなかったとも言われており、翻訳の質の点では疑問も残るとする評価もある。現代では阿部泰山流、高木乗流などがあるようである。粟田泰玄は阿部泰山流である。なお四柱推命に流派などない、という立場で武田考玄という研究者も活躍した。


  1. ^ 波木星龍『四柱推命の謎と真実』八幡書店、2015年6月18日。ISBN 978-4893507488 
  2. ^ uramori0001 (2020年4月14日). “【四柱推命の歴史】中国三千年の歴史に育まれた占いの軌跡 - 占いの森”. 2023年12月26日閲覧。
  3. ^ 十二支の相互関係である三合会局や六合には、西洋占星術サイン (占星術)間の関係が影響している、または月律分野蔵干には、サインの細分化の1つであるデーカンの影響を見るとする論もある。
  4. ^ 蔵干には月律分野蔵干とは別に節気蔵干があり、一部の流派ではそれを採用している。節気蔵干を採用している流派の多くは、節入り後の経過時間ではなく、太陽黄経から蔵干を算出している。
  5. ^ 後に清の時代に余春台によって『窮通宝鑑』として再度まとめられる。





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