共産主義労働者党 ヘルメット

共産主義労働者党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 22:53 UTC 版)

ヘルメット

プロ青同ゲバヘル成田空港 空と大地の歴史館

共労党の学生組織は当初、日本共産党から脱党した志賀義雄らが結成したソ連派の組織「日本のこえ」の学生組織「民主主義学生同盟」内の左派によって構成されており、1968年3月より共労党傘下の学生組織として学生は民学同の白色のヘルメットを用いていたが、後に構改派の緑色に変更している。1969年3月プロ学同結成に伴い新たに緑地に白字の「プロ学同」と描かれたヘルメットを用いた。

1970年1月19日、共労党は機関誌「統一」において「革命戦士の共通の色赤ヘルに 」と題し、かつての運動の総括を踏まえより先鋭的な運動継続の意思表明として「総反乱の時代であり、それを象徴するものとして闘う者の共通の色・赤色」と規定し、プロ学同はヘルメットの色を赤色に変更した[1]

一説には、1969年11月16日から17日にかけて行われた佐藤首相訪米阻止闘争いわゆる「11月決戦」の際、大阪扇町公園での統一集会から街頭に出たプロ学同の突撃隊が機動隊と正面からぶつかりプロ学同に所属していた岡山大生の糟谷孝幸が死亡した[2]為その後、プロ学同内では追悼の意味を込めて赤色に変更したとされる。

組織 前面 後面
民主主義学生同盟(左派)初期型 民学同 DSL
民主主義学生同盟(左派)後期型 民学同 DSL
プロレタリア学生同盟(1969年3月–1970年1月) プロ学同 PSL
プロレタリア学生同盟(1970年1月–) プロ学同 PSL
プロレタリア青年同盟(プロレタリア革命派) プロ青同 PYL
三里塚を闘う青年先鋒隊(プロ青同) 先鋒隊
共労党 赤色戦線派 赤色戦線 RF

  1. ^ 1968年全共闘だった時代 ー 私的・ビラ保管庫 統一・352号/共産主義労働者党70.1.19 http://www.z930.com/bira.html
  2. ^ https://twitter.com/chisaka_kyoji/status/426774409278279680


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