共感覚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 03:51 UTC 版)
共感覚者であったと報告されている過去の海外の人物
著作などから共感覚者ではないかとして以下の人々がしばしば取り上げられる。一般に適切な検査を受けていない故人である場合、本当に共感覚を有していたのかメタファーとしてそう類推できる記述を行ったのか判別は難しい[9]。
- ソロモン・シェレシェフスキー(記憶術師)
- 五感にわたる共感覚によって、多くの文字や数字などを直観像として記憶することができ、舞台で記憶術師として活動した。ソ連の心理学者アレクサンドル・ルリヤがその著書『偉大な記憶力の物語』の中で詳細な報告を行っている[10]。こうした記憶は数十年を経た後も誤ることなく思い出せた一方で、具体像に変換できない詩や抽象的概念を理解するのにはひどく困難を伴っていた。
- ウラジーミル・ナボコフ(作家)
- ナボコフは文字に色がついて見えるという自分と母親の共感覚についてはっきり認識し、雑誌インタビューのほか、自伝『記憶よ、語れ』の中で詳しく述べている[11]。色はアルファベットの形ではなくその音に結びついていたようで、例えば英語の a は「長い風雨に耐えた森の持つ黒々とした色」でフランス語の a は「つややかな黒檀の色」だとしている。ナボコフの記述の多くは他の共感覚者の証言とも一致している[12]。
- シャルル・ボードレール(詩人)
- 詩『交感』の中で音と色の結びつきが表現されており、本人も共感覚を認識した記述を残している。大麻が共感覚を高めるとも書き残しており、こうした感覚は長年患った梅毒や向精神薬の影響も指摘されている[13]。
- オリヴィエ・メシアン(作曲家)
- 「音楽を通して色を伝えようとしている」とし、自ら「それらの色を極度に鮮やかに感じる」などとしている。ただし記述はあいまいであり、はっきり共感覚を有していたかどうか決定できる証拠はみられない[14]。
- ワシリー・カンディンスキー(画家)
- 作品がさまざまな感覚を呼び起こすような「総合芸術」を志向し、作品に共感覚的な属性を与えようとしたが、本人が共感覚を有していたとはみなされていない[15]。
- アレクサンドル・スクリャービン(作曲家)
- 音階には特定の色があると信じていたが、それ自体は共感覚によるものかメタファーかは判っていない。同時代のリムスキー=コルサコフも同様の対応付けを行い、互いにそれを認識していた。例えばハ長調をスクリャービンは赤、リムスキー=コルサコフは白とし、ニ長調をスクリャービンは黄色、リムスキー=コルサコフは金色がかった黄色としており、両者の対応はみられない。また、交響曲『プロメテウス』では音の代わりに色を発するオルガンを用いるとの指示がある。イギリスの心理学者マイヤーズはスクリャービンと面会し、共感覚であるとする論文を残しているが、ハリソンによればその記述は他の共感覚者の知覚とは異なっているとする[16]。
- リチャード・P・ファインマン(物理学者)
- 逸話集『困ります、ファインマンさん』に収録されており、独自の方法で脳機能について考察した『ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー』の中で、概念が人それぞれの形で別の概念や、方法と結びつきあっていることを説明する文脈において複雑な数式を見たり考えているときにそれぞれの文字に特定の色がついているという簡単な記述がある[17]。これがクオリアを伴った実際の感覚であるかどうかは記述から判然としないが、ハリソンはその記述が「共感覚者の言うことそのままだ」としている[18]。Jは薄いベージュ色、nはやや紫がかった色に見えたという。
- エドヴァルド・ムンク[要出典](画家)
- 有名な『叫び』は、散歩中に自然界には有り得ない叫びを聞いたことが着想の元となっている絵画である。
- アルチュール・ランボー(詩人)
- 「A は黒、E は白、I は赤、U は緑、O は青」で始まるソネット『母音』を残しており[19]、しばしば共感覚の証拠とされる。これがランボーのイマジネーションによるものか実際の感覚であったかは不明である。後に、この母音と色の連合は自分が発明したのだと語ったとされる[20]。
- フランツ・リスト(作曲家・ピアニスト・指揮者)
- オーケストラを指揮したとき「ここは紫に」など、音を色として表現した指示ばかり出し、団員たちが困惑したエピソードが有名[要出典]。
- ニコライ・リムスキー=コルサコフ(作曲家)
- スクリャービンと同様に音階と色との対応付けを行っており、両者が鑑賞したコンサートで聴いている曲に感じた色を互いに議論していることから、スクリャービンとともに取り上げられる[21]。
- ジョリス=カルル・ユイスマンス(小説家)
- 本人による共感覚を証拠付ける記述はないが、一種の味と音の共感覚をもつ『さかしま』の主人公が評論家によってユイスマンス自身を描写しているとされることから、しばしば取り上げられる[22]。
- ^ オリバー・サックスの一連の著書『音楽嗜好症』(早川書房 2010年)など。
- ^ 日本共感覚研究会. “日本共感覚研究会”. 2017年10月4日閲覧。
- ^ (日本語) Helene Grimaud interviewed by Alexis Bloom for Quick Hits 2020年6月21日閲覧。
- ^ Credo - Hélène Grimaud interviewed by Michael Church Archived 2006年10月11日, at the Wayback Machine.
- ^ タメット, D.『ぼくには数字が風景に見える』古屋美登里 訳、講談社、2007年。ISBN 978-4-06-213954-0。
- ^ ダフィー (2002) pp.115–121,127–132.
- ^ Seaberg, M. (2011). Tasting the Universe. New Page Books. ISBN 978-1-60163-159-6
- ^ http://www.insidescience.org/content/seeing-colors-music-tasting-flavors-shapes-may-happen-lifes-early-months/586
- ^ ハリソン (2006) p.133.
- ^ ルリヤ, A. R.『偉大な記憶力の物語』岩波書店〈岩波現代文庫〉、2010年。ISBN 978-4-00-600242-8。
- ^ ナボコフ, ウラジミール『ナボコフ自伝 — 記憶よ、語れ』大津栄一郎 訳、晶文社、1979年。ISBN 978-4-7949-2239-7。 第 2 章. 原書: (1960) Speak Memory: A Memoir.
- ^ ハリソン (2006) pp.151–153.
- ^ ハリソン (2006) pp.135–137.
- ^ ハリソン (2006) pp.149–151.
- ^ ハリソン (2006) pp.147–149.
- ^ ハリソン (2006) pp.143–147.
- ^ ファインマン, リチャード・P『困ります、ファインマンさん』大貫昌子 訳、岩波書店、1988年。 (2001)〈岩波現代文庫〉, ISBN 978-4-00-603029-2. 原書: (1988) What Do You Care What Other People Think?
- ^ ハリソン (2006) pp.157–159.
- ^ ランボー, アルチュール『ランボー全詩集』宇佐美斉 訳〈ちくま文庫〉、1996年。ISBN 978-4-480-03164-8。『母音』(Voyelles)
- ^ ハリソン (2006) pp.137–139.
- ^ ハリソン (2006) pp.145–146.
- ^ ハリソン (2006) pp.139–143.
- ^ 宮沢賢治の世界の心理学的考察 同様に、共感覚(synesthesia)も賢治の作品に随所にみられるものである。共感覚とは、ある感覚刺激を本来の感覚以外に別の感覚としても知覚できる能力のことを指す。賢治では、視覚が嗅覚を呼び起こす例が多い。賢治作品においては、「月」が果実の匂いを感じさせたり、「空」に「さびしき匂ひ」を感じるという短歌が早期よりみられている。詩では「真空溶媒」の「新鮮なそらの海鼠の匂」、「小岩井農場」の「ここいらの匂のいいふぶきのなかで」がある。
- ^ TED Talks ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン 「心について」
- ^ 和田2012
- ^ “FILE165:「世界はもっとカラフルだ!〜共感覚のフシギ〜」” (日本語). 爆笑問題のニッポンの教養. NHK総合 (2011年11月3日). 2011年11月13日閲覧。
- ^ “LIFE!〜人生に捧げるコント〜|2015/06/18(木)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2015年6月19日閲覧。
- ^ "けやき坂46のオールナイトニッポン". 26 December 2018.
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