伊射波神社 祭神

伊射波神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 04:04 UTC 版)

祭神

『諸国一の宮』[2]によれば、祭神は以下の4柱。

『公式ガイドブック 全国一の宮めぐり』[3] では天照大神に仕えた神と紹介。
『日本書紀』に記載されている神功皇后が三韓征伐を行う際に現れた「尾田(現、三重県鳥羽市の加布良古の古名) の吾田節(後の答志郡)の淡郡(粟嶋= 安楽島)に居る神.」の事であり、兵庫県神戸市の生田神社に鎮座する前はこの伊射波神社に鎮座していた神である。
  • 伊佐波登美命 (いざわとみのみこと)
平安時代末期から鎌倉時代中期の成立とされる『倭姫命世記』によれば、垂仁天皇の御世に皇女倭姫命皇大神宮の朝夕の御贄を奉る地を探して志摩国を訪れたとき、この神が出迎えたとする。『公式ガイドブック 全国一の宮めぐり』[3]によれば、安楽島の二地(ふたぢ)の鳥羽贄遺跡がこの神の本宮跡で、平安時代後期に現在地へ移ったと言う。
  • 玉柱屋姫命 (たまはしらやひめのみこと)
伊雑宮の『御鎮座本縁』などでは天叢雲命の裔、伊勢国造の祖・天日別命の子である。『公式ガイドブック 全国一の宮めぐり』[3]では伊佐波登美命の妃神と解説。
  • 狭依姫命 (さよりひめのみこと)
『公式ガイドブック 全国一の宮めぐり』[3]では宗像三女神の1柱市杵島姫命の別名で、近くの長藻地と言う島に祀られていたが、島が水没したので当社に合祀されたと言う。

御崎の先には、別に領有神が祀られている。当社の玉垣内には丸白石が敷き詰められており、古くから漁民はこの白石を船霊として船中に安置し、豊漁を祈る習慣がある。船守りとして白石を持ち帰った際は、必ず2倍3倍にして社地へ返さねばならないとされる。


  1. ^ a b c 谷川健一『日本の神々 -神社と聖地- 6 伊勢・志摩・伊賀・紀伊』㈱白水社、1984年。 
  2. ^ a b c d 入江孝一郎『諸国一の宮』移動教室出版事業部、2001年。 
  3. ^ a b c d e 全国一の宮会編『公式ガイドブック 全国一の宮めぐり』全国一の宮会、2008年。 
  4. ^ a b 中世諸国一宮制研究会編『中世諸国一宮制の基礎的研究』岩田書院、2000年。 
  5. ^ 建久3年(1192年)成立後、寛正5年(1464年)に内宮禰宜荒木田氏経が加筆。
  6. ^ 安政東海地震および安政南海地震






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