交響曲第1番 (シューベルト)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/02 14:07 UTC 版)
概要
音楽・音声外部リンク | |
---|---|
全曲を試聴する | |
Schubert:1.Sinfonie - アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮hr交響楽団による演奏。hr交響楽団公式YouTube。 | |
Schubert:Symphony No.1 - マルク・ミンコフスキ指揮ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミーによる演奏。ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミー公式YouTube。 |
当時16歳のシューベルトが帝室王室寄宿神学校(コンヴィクト)在学中の頃である1813年の10月28日の秋に完成させた交響曲であるが、いつ着手したかについては資料が残されていないため不明である。作曲の動機や初演についても不明であるが、パート譜にコンヴィクトの校長だったフランツ・ラングへの献呈の辞があることから、校長に献呈するために作曲されたものと考えられている[1](ただし確証はない)。また、本作の総譜の草稿には苦心が見られない点や、それに関係するスケッチ類が残されていないことから、速筆で書き上げられたと思われる[1]。
初演は1813年秋にコンヴィクトの演奏会で行われたと考えられるが、その時の資料が現存しないため不明である。一般公開での初演は、シューベルトの死後52年を経過してからであった。シューベルト研究家のジョージ・グローヴが第1番から第5番までの交響曲の上演を試みた際、まず第1楽章のみ1880年1月30日にロンドンの「水晶宮コンサート」にてグローヴの友人オーガスト・マンスの指揮で演奏が行なわれた。そして翌1881年2月5日、同地で同じくマンスの指揮により初めて全曲が演奏された[注 2]。
自筆譜は現在ウィーン楽友協会に保存されている。ハイドンやモーツァルト、そしてベートーヴェンを手本にするなど、古典派音楽の作曲様式にのっとって作曲されていて、特にメヌエットや終楽章に影響が見られる。
総譜の草稿は元々兄のフェルディナントが保管していたが、フェルディナントの没後に弁護士のエドゥアルト・シュナイダーの手に渡り、さらに1880年代初頭にシューベルトの作品の収集家ニコラウス・ドゥンバが所有していた。なおドゥンバの死後、遺言によってウィーン楽友協会へ寄贈された。
注釈
- ^ 第1楽章の繰り返しも含む。
- ^ なお1873年のウィーンで行われた万国博覧会において本作の初演の計画が持ち上がっており、ブラームスに指揮の依頼が来たが、大規模な演奏会に向ける作品が無いことなどを理由にその依頼と出演を断ったため、初演は7年後となった。
出典
- 交響曲第1番 (シューベルト)のページへのリンク