二流の人 (小説)
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作品評価・解釈
1940年(昭和15年)の35歳の時に切支丹ものや歴史に興味を抱きはじめる以前、坂口安吾は1935年(昭和10年)から1936年(昭和11年)にかけて、矢田津世子との恋愛と自己の半生に決着をつけるために、渾身の力を込めて野心作である長編『吹雪物語』を執筆したが、それは失敗作に終わっていた[2]。奥野健男は、そのことと『二流の人』の主題を関連づけながら、「自分の才能の限界を知らされ二重の失意」に陥った安吾がその「挫折の痛み」を、「ついに志を得なかった黒田如水」に託して描いた歴史小説が『二流の人』だと解説している[2]。
上野俊哉は、ビートルズからしたら、明らかにローリング・ストーンズは二流だろうが、ザ・フーから見たら、ストーンズの方が一流になるかもしれないというふうに、「二流」とは常に「相対的な価値づけ」にしかすぎないと述べつつ、『二流の人』の主人公・黒田如水は、「覇を競う天下人の間で、彼らにときに畏れを抱かせながら、いささか邪魔な軍師、策士としてふるまい、そのかぎりで〈二流〉を生きつづける」と解説している[5]。そして「知略の人」と言われながらも、この知略において苦労を重ね、「何度も失墜しては浮かび上がる芸当」を見せた黒田如水の「食えない感じ」を、「安吾がどうにも愛していたように読める」とし、次のような作中の一節を引きながら、優等生にも一流と二流があるが、安吾は後者(二流)に惹かれてしまっていると考察している[5]。
崩れる自信と共に老いたる駄馬の如くに衰へるのは落第生で、自信の崩れるところから新らたに生ひ立ち独自の針路を築く者が優等生。官兵衛も足もとが崩れてきたから驚いたが、独特の方法によつて難関に対処した。 — 坂口安吾「二流の人」
そして、「豪放に見えて繊細、磊落にふるまいながら天下御免とはいかない〈虚心と企みと背中合せ〉の黒田如水に安吾が惹かれたのは、この「二流の人」如水が「自分を〈モノ〉のように突き放して、なおかつ自分を見つめ、その巨星たちに弄ばれる運命と位置取りを自らの創造と発見の原理にしてしまうような者であったからだ」と上野は述べつつ[5]、秀吉、家康ら英傑の中で自らの才能を出過ぎず、「その〈機能〉(他人から見た使い方)の塩梅を勘案する」策士・黒田の中に、「もうひとつのいきいきとした〈堕落〉、今ひとつの〈戦後〉」を安吾が読み取っていたと、『堕落論』と関連させて[5]、安吾が「二流のキャラクターたちの位置取りに歴史の筋目を見てとり、同時に様々な価値の相対化と転倒を積極的に生きぬいた」と考察している[5]。
注釈
出典
- ^ 「カバー解説」(文庫版『白痴・二流の人』)(角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)
- ^ a b c 奥野健男「坂口安吾――人と作品」(文庫版『白痴・二流の人』)(角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)
- ^ a b c 三枝康高「作品解説」(文庫版『白痴・二流の人』)(角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)
- ^ 住友直子「坂口安吾作品ガイド100『二流の人』」(『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』)(河出書房新社、2013年)
- ^ a b c d e f g h i 上野俊哉「堕ちることと逸れること、あるいは『二流の人』について」(『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』)(河出書房新社、2013年)
- ^ a b 関井光男「解題――黒田如水」(全集3 1999, pp. 571–572)
- ^ a b 関井光男「解題――二流の人」(全集4 1998, pp. 541–542)
- ^ a b 関井光男「解題――餓鬼」(全集4 1998, pp. 533–534)
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