ロラン=ミシェル・バラン・ド・ラ・ガリソニエール ロラン=ミシェル・バラン・ド・ラ・ガリソニエールの概要

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ロラン=ミシェル・バラン・ド・ラ・ガリソニエール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/10 14:42 UTC 版)

ロラン=ミシェル・バラン・ド・ラ・ガリソニエール
Roland-Michel Barrin de La Galissonière
生誕 (1693-11-10) 1693年11月10日
フランス王国ロシュフォール
死没 (1756-10-06) 1756年10月6日(62歳没)
フランス王国モントロー=フォー=ヨンヌ英語版
職業 植民地副王、海軍士官
配偶者 マリー=カトリーヌ=アントワネット・ド・ロゾン(Marie-Catherine-Antoinette de Lauson
父:ロラン・バラン・ド・ラ・ガリソニエール
母:カトリーヌ・ベゴン(Catherine Bégon

ヌーベルフランス総督まで

ラ・ガリソニエールは母カトリーヌ・ベゴンが1712年から1726年までアンタンダン英語版を務めたミシェル・ベゴン・ド・ラ・ピカルディエール英語版の妹であり、自身も1651年から1657年までのヌーベルフランス総督ジャン・ド・ロゾン英語版の親族マリー=カトリーヌ=アントワネット・ド・ロゾンと結婚したため、ヌーベルフランスとの繋がりがあった[1]

ラ・ガリソニエール自身は海軍士官であったため、ヌーベルフランス総督職は軍事上必要だったことで渋々受け入れただけであった[1]。民衆には好かれた模様であったが、資源の不足により多くを成すことはできなかった。それでも、彼はピエール=ジョゼフ・セロロン・ド・ブランヴィル英語版を派遣してフランスの交易地を増やし、フランソワ・ピケ英語版を派遣してデトロイト地域とオハイオ川流域の先住民へキリスト教を布教し、イギリスのアメリカ植民地を抜け駆けようとした。

彼は行政官と外交官としての才能があった。ヌーベルフランスでの貢献により、彼は海戦を戦ったことがなかったにもかかわらず海軍少将に昇進した。その後、海軍デポ(Dépôt de la Marine)の管理を命じられた[1]

ミノルカ島の海戦

1756年、ラ・ガリソニエールはミノルカ島の侵攻を支援し、ジョン・ビング提督率いるイギリス艦隊と3時間戦った。ラ・ガリソニエールは艦隊を慎重に指揮し、イギリス艦隊が撤退する結果をもたらした。ビングは軍法会議にかけられて処刑された。限定的な勝利であったが、ラ・ガリソニエールは本国で称賛され、フランス王ルイ15世フランス元帥位の授与を考えたほどである。しかし、ラ・ガリソニエールは王を謁見する前に63歳で病死し、結局元帥に叙されることはなかった[1]

科学研究の支援

ラ・ガリソニエールは科学研究に関与した最初の海員の1人であり、当時の高名な科学者であったアンリ=ルイ・デュアメル・デュ・モンソーベルナール・ド・ジュシューピエール・シャルル・ルモニエルイ・ギョーム・ルモニエとも繋がりを持った[1]。彼は科学研究のミッションを3度組織した[1]

栄典と記念

サン=ジャン要塞の記念碑、1926年設立、2006年撮影



  1. ^ a b c d e f Taillemite, Étienne (1974). "Barrin de La Galissonière, Roland-Michel". In Halpenny, Francess G. Dictionary of Canadian Biography. III (1741–1770) (online ed.). University of Toronto Press. 


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