ルックルックこんにちは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 09:32 UTC 版)
コーナー一覧
- 竹村健一の世相講談(平日)
- レンズポート!(月曜日)
- テレビ三面記事(金曜日)
- 涙のご対面(金曜日)
- 突撃!隣の晩ごはん(木曜日)
- ドキュメント女ののど自慢(水曜日)
- 稲川淳二の美人駅伝(火曜日)
- 稲川淳二のLet's豪邸(火曜日)
- レースガイド
- 貴女もトップレディ(水曜日)
- カップルクイズスイッチON!!(火曜日)
- 金曜テレゴング(1995年10月から1996年9月までの金曜10:25 - 10:55)
- 街のうわさ たしかめ隊
主なスタッフ
終了時点
- 構成:今上正義、小畑良浩、橋本敦司、上原銀河
- TM:鈴木康介
- TD:小宮佑一(以前は技術)、斉藤勝彦
- SW:武藤慶一
- カメラ:田口勝夫、茅野竜徳
- 音声:中村一男、中山貴晴
- 照明:共立照明
- 調整:山口考志、塩原和益
- 音効:黒金和夫
- 美術:栗原純二
- TK:地引節子、林たか子
- FM:岩崎龍司
- 突撃!隣の晩ごはん:トムスコ、貝塚英岐
- 制作協力:日本テレビエンタープライズ
- 美術協力:日本テレビアート
- ディレクター:倉田圭子、横山長生、河原克巳、飯干友樹、大久保健、横山裕康、水上啓、瀬霜猛夫、清水透、鈴木明彦、澤田浩一、堂阪重和、小林英丘、市原和歌子、小野祐司、町尻具宗、近藤守雄(近藤→以前は取材)、矢古宇茂
- デスク:戸倉一洋(以前は取材)、坂田亨、渡辺絵美
- チーフD:湯元敏浩(以前は取材)、大田貴史
- プロデューサー:高橋正弘、上野有子、尼崎昇
- チーフプロデューサー:林隆一郎
- 製作著作:日本テレビ
歴代のスタッフ
- 構成:中条原始、出口勝
- 技術:伊藤邦雄、市村晃一郎、鈴木進
- 音声:田中勝己
- 調整:高橋一徳
- 美術:道勧英樹、渡邊俊孝、柳谷雅美、羽谷重信
- 音効:杉山謙一郎
- FM:山本真二
- ディレクター:森本規夫、稲葉豊子、氏田宏、岡田丞右、新美伯、渡辺正人、妹尾和夫
- 総合ディレクター:上島基幸、油井禧成
- プロデューサー:大垣信良、小葉松愼、仲築間卓蔵
- 制作→チーフプロデューサー:横江川欣也→森岡正彦→齋藤三朗
番組ロゴ
- 初代:1979年4月 - 1998年10月
- 目をモチーフにしたロゴ
- 1995年3月まではローカルセールスだった兼ね合いでオープニングでのロゴ表示は提供クレジットと共に各局別に表示していた(『お昼のワイドショー→午後は○○おもいッきりテレビ』や『NNNニュースプラス1』等と同様)。
- 2代目:1998年10月 - 2001年3月
- 番組のイメージ一新のため変更した。ルックLOOKの「ッ」の部分に目が描かれている(「こんにちは」は付かない)。
- ^ 「85年テレビドラマの行方は」『映画情報』第50巻第1号、国際情報社、1985年1月1日、70頁、NDLJP:2343811/70。
- ^ 司会候補には岸部と同郷、かつ当時本番組にレポーターとして出演していた上岡龍太郎を司会に昇格させる事も検討されたが、上岡の「宇治は京都とは認めない」との発言が宇治出身のプロデューサーの怒りを買い、最終的に岸部が選ばれた。ただし、上岡は生前、その周辺の自治体に関しては好意的だった。
- ^ 「ワイドショー料理人の"たかが・されど"論――土足云々・・は今は昔 / 仲築間卓蔵」『月刊政治と経済』第22巻第2号、政治と経済、1996年2月1日、38 - 41頁、NDLJP:2877858/20。
- ^ 岸部4億借金「ルックルック」降板 - ウェイバックマシン(1998年7月3日アーカイブ分)
- ^ 岸部四郎「心中考えたことも」 - ウェイバックマシン(1998年7月3日アーカイブ分)
- ^ 独走「とくダネ!」 合い言葉は「打倒!小倉」,ENAK,2006年7月11日
- ^ a b 『モーニングショー』を1979年12月で打ち切って、本番組のフルネットに切り替えた。なお、テレビ岩手は『2時のワイドショー』(読売テレビ製作)に関しては初回からネットしていたほか、1980年3月にANNを脱退、同年4月からNNSフルネット局になっている。
- ^ a b c 日本海テレビは1972年9月までの放送エリアは鳥取県のみ。鳥取・島根の電波相互乗り入れ後も山陰放送と2局同時放送していたテレビ朝日の『モーニングショー』を1989年9月で打ち切って、1989年10月より読売テレビと同一の編成に切り替えると同時に、同じく山陰放送と2局同時放送していた14:00から時差ネットしていたテレビ朝日系平日正午枠も同時に打ち切って『2時のワイドショー』(読売テレビ製作)のネットを開始した。なお、『モーニングショー』並びにテレビ朝日系平日正午枠は、1989年10月から山陰放送に放送局が一本化された。
- ^ ニュースコーナー担当者は全員『NNNニュースジパング』を兼務。
- ^ 後を受けている『レッツ!』→『ザ!情報ツウ』→『スッキリ!!』にも続投。
- ^ テレビ朝日系列とのクロスネットだった1991年9月までは『モーニングショー』の同時ネット並びに9:30から『金曜ワイドあおもり』を放送していたため未放送だった。なお、前身の「ミセス&ミセス」は、9時30分からの時差放送を実施していた。
- ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、29頁。
- ^ 1991年4月1日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 1988年頃に月曜日 - 木曜日のみ放送していた期間があった(『北國新聞』1988年4月4日 - 4月8日付朝刊、テレビ欄より)他、「ytv帯ドラマ」放送期間中に、日テレより1時間遅れとなる9:30 - 11:00に時差でフルネットしていた時期あり。
- ^ 1994年4月4日から『ザ・ワイド』を放送するための編成見直しで打ち切り。
- ^ 富山新聞 1994年4月1日付朝刊テレビ欄(28面)
- ^ テレビ朝日系列(サブ)とのクロスネット局でもあるが、テレビ朝日系列の一般番組供給部門には非加盟で、日本テレビの公式ウェブサイト上でも単独ネット扱い。
- ^ a b c 編成の見直しで打ち切り。
- ^ 昭和天皇の病状によっては日本テレビと同一の編成としていた。
- ^ 打ち切り後は本来の系列局の番組である『モーニングジャンボ奥さま8時半です』に切り替えた。
- ^ 『南日本新聞』1994年3月24日・25日付朝刊テレビ欄。
- ^ ただし、日本テレビでは第2作『花姉妹』のみ11:00 - 11:25に放送されていた。
- ^ a b 時期によって編成が異なっていた。最初は日本テレビと同一、次に読売テレビと同一、その次には日本テレビと同一に戻った。
固有名詞の分類
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