マイケル・シェンカー・グループ マイケル・シェンカー・グループの概要

マイケル・シェンカー・グループ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 07:32 UTC 版)

マイケル・シェンカー・グループ
Michael Schenker Group
フランス『Hellfest 2022』公演(2022年)
基本情報
出身地 ドイツ
イングランドロンドン
ジャンル HR/HM
活動期間 1979年 - 現在
レーベル クリサリス・レコード
EMI/キャピトル
SPV/Steamhammer
シュラプネル・レコーズ
Armageddon Entertainment
In-akustik
共同作業者 UFO
スコーピオンズ
公式サイト マイケル・シェンカー公式サイト
メンバー マイケル・シェンカー
ロビン・マッコーリー
スティーヴ・マン
バレンド・クルボワ
ボド・ショプフ
旧メンバー 以下を参照

ドイツ出身のギタリスト、マイケル・シェンカー(元UFO・元スコーピオンズ)が率いる事で知られる。

略歴

第一次マイケル・シェンカー・グループ期(1979-1984)

マイケル・シェンカー(G)1983年

1979年4月にスコーピオンズを脱退したマイケル・シェンカー(G)が数ヵ月後に、ゲイリー・バーデン(Vo)、ビリー・シーアン(B)、デニー・カーマッシ(Dr)ら4人で結成。約1ヵ月間リハーサルを行ない、デモテープのレコーディングを行なった。マイケルが薬物中毒で入院して一時活動を休止するが、翌年の5月にゲイリーと再結成し、デビュー・アルバム『神(帰ってきたフライング・アロウ)』をリリースした。このアルバムには、モー・フォスター(B)、サイモン・フィリップス(Dr)、ドン・エイリー(KeyB)がセッションで参加した。その後のツアーには、クリス・グレン(B)、コージー・パウエル(Dr)、ポール・レイモンド(KeyB,G)が加入。ツアー時の編成で1981年にセカンド・アルバム『神話』をリリース。

ツアー後にゲイリーが解雇され。1982年2月、後任にかつてコージーと活動していた元レインボーグラハム・ボネット(Vo)が加入。4月にはコージーも脱退し、グレンのかつてのバンドメイトでセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドのテッド・マッケンナ(Dr)が加入。このラインナップ(グラハム、マイケル、クリス、テッド)にトミー・エアー(KeyB)がセッションで参加して『黙示録』 をリリース。このアルバムのリリースに先立ちイギリスでのライヴ・ツアーを行うが、グラハムが酔っ払ってステージ上で裸になるなどの問題行動を起こしてライヴ途中で解雇。急遽ゲイリーがバンドに復帰。ツアー後、ポールが脱退し、アンディ・ナイ(KeyB)が加入。

1983年8月、元テッド・ニュージェント・バンドのデレク・セント・ホームズ(G)が加入するが、10月のツアー終了時に脱退。

1984年2月にクリスが印税の支払いに関する意見の相違から脱退し、後任に元バランスのデニス・フェルドマンが加入した。4月までに、ゲイリーもアルコール依存症の悪化により再び解雇され、レイ・ケネディが加入するが8月のツアー終了後に脱退した。年末までにアンディとテッドも脱退。マイケルは新メンバーの加入を断念し、バンドを解散してドイツに戻った。

マッコーリー・シェンカー・グループ期(1986-1992)

1986年4月、マイケルはロビン・マッコーリー(Vo)、ロッキー・ニュートン(B)、ボド・ショプフ(Dr)、スティーヴ・マン(KeyB,G)らを迎えて、新バンドを結成。翌年にデビュー・アルバム『Perfect Timing』をリリース。その後スティーヴは1987年半ばに脱退し、ミッチ・ペリーが加入。デビュー・アルバムのレコーディング中にバンド名をマッコーリー・シェンカー・グループに改名(しかしロビンはマイケル・シェンカー・グループの知名度が高い事を理由に反対した)。1988年のアルバム・ツアー後にミッチが脱退し、スティーヴが復帰。1989年にセカンド・アルバム『Save Yourself』をリリース。1990年にマイケルがスーパーグループ、コントラバンドのツアーとレコーディングに参加するために活動を休止。翌年、ジェフ・ピルソン(B)、ジェイムス・コタック(Dr)、ジェシー・ハームズ(KeyB)を迎えて活動を再開。ジェフ、ジェイムス、ジェシーの脱退した後はロビンとマイケルが正規メンバーとして活動を続け1992年に『Nightmare: The Acoustic M.S.G.』と『Unplugged Live』をリリースしたが、同年にバンドは解散。マイケルは後にUFOに復帰する。

第二次マイケル・シェンカー・グループ期(1996-)

UFOで2度目の活動を続けた後、マイケルは1996年にリーフ・サンディン(Vo)、バリー・スパークス(B)、シェーン・ガアラス(Dr)を迎えてマイケル・シェンカー・グループを再結成。同年に『Written in the Sand』をリリースした。その後のプロモーション・ツアーでは、セス・バーンスタイン(KeyB,G)が参加した。デイヴィッド・ヴァンランディング(Vo)はリーフの代役としてアメリカ・ツアーのオープニングに参加し、日本公演にも参加。マイケルがUFOでの3度目の復帰を果たしたため、グループは再び活動を休止。1998年初頭にゲイリー・バーデン(Vo)が再び復帰し、ジェフ・コールマン(B)が加入、このラインナップでG3ツアーに参加した。1999年にリーフ、ジェフが脱退し、ケリー・キーリング(Vo)とジョン・オンダー(B)が加入し、アルバム『The Unforgiven』をリリース。

『The Unforgiven』のサポート・ツアーでは、バリーが復帰し、キース・スラックがセカンド・ヴォーカリストとして参加、セスの代役にウェイン・ファインドレイが参加した。2000年のツアー終了後、マイケルは4度目のUFO復帰を果たして活動休止。この年、彼は3枚のソロアルバムを制作した。2001初頭、クリス・ローガン(Vo)、レブ・ジョーンズ(B)、ジェフ・マーティン(Dr)を迎えて活動再開。『Be Aware of Scorpions』のレコーディング後、ジェフはシェンカーの飲酒問題に起因する問題のためにバンドを脱退。後任にジェレミー・コルソンが11月に加入。

2002年マイケルはUFOと『Sharks』をレコーディングし、『Thank You』シリーズの第2弾と第3弾をリリースした。また、年末のウリ・ジョン・ロートのレジェンド・オブ・ロック・ツアーに参加する予定だったが、肩を脱臼し、参加を断念した。

2003年4月、レヴが脱退し、スチュアート・ハムが加入し、アルバム『Arachnophobiac』をリリース。その後のツアーでは、シェンカーとローガンにウェインとレヴが復帰し、ピート・ホームズ(Dr)が加入。

2004年11月、クリスがレヴとの喧嘩で負傷し脱退。リーフ・サンディンが復帰する。翌年初頭、レヴとピートの2人は、「ツアー日程のキャンセルが続き、マネージメントの判断が悪かった」ため脱退。リーフも脱退し、後任にヤリ・ティウラ(Vo)、元UFOのピート・ウェイ(B)が加入し、ジェフ・マーティンが復帰。バンドの25周年記念アルバム『Tales of Rock'n'Roll』をリリース。2006年、レヴとホームズが復帰。

Michael Schenkerのドイツ語読みはミヒャエル・シェンカーだが、Michael Schenker Groupはドイツ語でも英語的にマイケル・シェンカー・グループと読まれる。ドイツにおいて、本人は、「マイケル・シェンカー・グループのミヒャエル・シェンカー」(Michael Schenker von Michael Schenker Group)を自称している。

特徴

マッコーリー・シェンカー・グループ名義のライブ(2012年3月ニューヨーク)中央がロビン・マッコーリー

キャッチーなメロディと、マイケル・シェンカーのテクニカルで華麗なギタープレイがセールス・ポイント。それまでのハード・ロックの流れを上手く受け継ぎ、分かりやすい曲調とシンプルなビート、そして時に織り込まれるメロウなメロディを特徴とした。

時期的にNWOBHMのブームにも乗り、グラハム・ボネットコージー・パウエル在籍時が人気の絶頂であったが、アメリカ市場では大きな成功には至らなかった。また当グループは、あくまでシェンカーのソロ・プロジェクトであり、アルバムやライブ毎でメンバーは流動的である。

デビュー以来日本では根強い人気があり、ライブ・ツアーは活況を呈している[1]。また2008年には、往時のメンバーを集めて録音された新譜『In The Midst Of Beauty』が発表された。




「マイケル・シェンカー・グループ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マイケル・シェンカー・グループ」の関連用語

マイケル・シェンカー・グループのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マイケル・シェンカー・グループのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマイケル・シェンカー・グループ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS