ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ
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解任
1770年、ジョゼ1世は宰相カルヴァーリョをポンバル侯爵に叙した。ポンバル侯爵は1777年ジョゼ1世が死去するまで独裁権力を行使した。だが、マリア1世(在位:1777年 - 1816年)はポンバルを好まず、彼が大貴族に加えた残忍な弾圧を忘れていなかった。ポンバルは宰相職を解任され、女王から20マイル以内に近付くなという勅令まで出された。ポンバルは田舎の荘園に引きこもり、そこにフランス式庭園をもつ豪華なヴィラを建てている。ただ女王が彼の荘園の近くまで来た時は勅令に従い、しばらく自分の地所から立ち去らなければならなかった。1782年、ポンバル侯爵はこの荘園で平和に死去した。今日、リスボン中心部の最も重要な地下鉄駅はポンバル侯爵にちなんで命名されており、その広場には侯爵の銅像がそびえている。
参考文献
- デビッド・バーニンガム(David Birmingham)著、高田有現、西川あゆみ訳『ポルトガルの歴史』(創土社 ケンブリッジ世界各国史シリーズ、2002年) ISBN 978-4-7893-0106-0
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