ボレスワフ・ポボジュヌィ ボレスワフ・ポボジュヌィの概要

ボレスワフ・ポボジュヌィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 01:37 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ボレスワフ・ポボジュヌィ
Bolesław Pobożny
ヴィエルコポルスカ公
在位 1257年 - 1279年

出生 1221/7年
死去 1279年4月14日
配偶者 ヨレンタ
子女 エルジュビェタ
ヤドヴィガ
アンナ
家名 ヴィエルコポルスカ・ピャスト家
父親 ヴィエルコポルスカ公ヴワディスワフ・オドニツ
母親 ヤドヴィガ
テンプレートを表示

生涯

兄のプシェミスウ1世と共にヴィエルコポルスカの諸地域(カリシュポズナングニェズノ)を統治し、1257年に兄が死ぬとヴィエルコポルスカを単独で統治した。1264年8月16日、ボレスワフはヴィエルコポルスカのユダヤ人に対して、カリシュの法令と呼ばれる諸権利を与えた。これはユダヤ人に対して与えられた最初の成文法による保護条例で、ユダヤ人社会における司法権の自立、金融業と商業の自由を保障していた。1795年にポーランドでユダヤ人に対して与えられた特権は、ボレスワフが与えたこの時の特権をかなりの程度参考にしている。

1279年死去。息子が無かったため、甥のプシェミスウ2世がヴィエルコポルスカを継承した。

子女

1257年、ハンガリーベーラ4世の娘ヨレンタと結婚し、間に3人の娘をもうけた。ヨレンタは1827年ローマ・カトリック教会に列福されている。

  1. エルジュビェタ(1263年 - 1304年9月28日) - レグニツァ公ヘンリク5世と結婚
  2. ヤドヴィガ(1266年 - 1339年12月10日) - ポーランド王ヴワディスワフ1世と結婚
  3. アンナ(1278年 - ?) - グニェズノの修道女
先代:
ヘンリク2世
ヴィエルコポルスカ公
プシェミスウ1世と共同統治
1241年 - 1247年
次代:
(分割統治)
先代:
(ヴィエルコポルスカ全土の公)
カリシュ
1247年 - 1249年
次代:
プシェミスウ1世
先代:
プシェミスウ1世
グニェズノ
1249年 - 1250年
次代:
プシェミスウ1世
先代:
プシェミスウ1世
カリシュ
1253年 - 1257年
次代:
(ヴィエルコポルスカ全土の公)
先代:
プシェミスウ1世
グニェズノ
1253年 - 1257年
次代:
(ヴィエルコポルスカ全土の公)
先代:
プシェミスウ1世
ヴィエルコポルスカ公
1257年 - 1279年
次代:
プシェミスウ2世





「ボレスワフ・ポボジュヌィ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ボレスワフ・ポボジュヌィ」の関連用語

ボレスワフ・ポボジュヌィのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ボレスワフ・ポボジュヌィのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのボレスワフ・ポボジュヌィ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS