プリア・コー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/12 16:07 UTC 版)
プリア・コー ប្រាសាទព្រះគោ Preah Ko | |
---|---|
プリア・コーの祠堂群 | |
基本情報 | |
座標 | 北緯13度20分38秒 東経103度58分22秒 / 北緯13.34389度 東経103.97278度座標: 北緯13度20分38秒 東経103度58分22秒 / 北緯13.34389度 東経103.97278度 |
宗教 | ヒンドゥー教 |
圏 | ロリュオス |
地区 | プラサットバコン郡 |
州 | シェムリアップ州 |
国 | カンボジア |
現況 | 遺跡 |
建設 | |
形式 | クメール建築 |
様式 | プリア・コー様式[1][2] |
創設者 | インドラヴァルマン1世 |
完成 | 879年 |
資材 | ラテライト、砂岩、煉瓦 |
名称
プリア・コー(聖なる牛)は、寺院中央の祠堂群の前方にあって対面する3体の砂岩の彫像より名付けられている[8]。これらの彫像はナンディンという、シヴァの乗り物としての役割を果たす白い雄牛を描写している[6]。
歴史
クメール王ジャヤーヴァルマン2世(在位802-834[9])は、西暦802年にクメール王朝をおこした後、最終的にはハリハラーラヤに彼の首都を建てた[10]。インドラヴァルマン1世は、ジャヤーヴァルマン2世に次いで即位した息子ジャヤーヴァルマン3世(在位834-877年[9])の母である前王妃ダラニンドラドゥヴィーの縁者であり王の補佐役であったとされる[11][12]。インドラヴァルマン1世が即位すると、まず最初にバライである大貯水池、インドラタターカ(「インドラヴァルマンの池」の意[13])を築き、次いで879年に、プリア・コーの建立を命じ[14]、その後、881年にはバコンとして知られる山岳型寺院を構築した[15][16]。この建設計画は、王の平和的統治および拡大する領土から収益を引き出す王の能力により成し得たと考えられる。塔の修復はドイツ政府機関の出資により、アプサラ機構 (APSARA Authority) との共同プロジェクト (German Apsara Conservation Project, GACP) として[17]、1990年代初頭より行なわれた。
構成
プリア・コーは、奥行500メートル(東西)、幅400メートル(南北)の環濠に囲まれている。寺域内には、二重となるラテライトの周壁があり、外周壁は97メートル(東西)×94メートル(南北)、内周壁が58メートル(東西)×56メートル(南北)である[6]。
プリア・コーの祠堂は、砂岩の同じ基壇上にあって3基の塔を各二列に配置した[5]合計6基の煉瓦の塔により構成される[6]。塔は東向きで[6]、両側の塔に比べてやや西に窪むように位置する[5]前方の中央祠堂が最も高い。聖所は神格化された3人のインドラヴァルマンの祖先および彼らの妻たちに捧げられている。前方の中央祠堂はクメール王国の創健者ジャヤーヴァルマン2世に捧げられており[4]、ジャヤーヴァルマン2世が死後にシヴァ神と合体したパラメーシュヴァラが祀られ、左(南側)の祠堂には王インドラヴァルマン1世の父プリティヴィンドラヴァルマンを神格化したプリティヴィンドレシュヴァラを、右(北側)の祠堂は祖父(母方)の化身であるルドレシュヴァラが祀られた。その後方の小さい3基の祠堂は、それら3人の男性の妻に捧げられた[5]。その主要なすべての祠堂は、ヒンドゥー教の神シヴァの象徴を備えている。
- ^ 波田野 (2007)、182頁
- ^ a b c Rooney (2011), p. 270
- ^ 平山善吉 『アンコールの遺跡』連合出版、2011年、78-79頁。ISBN 978-4-89772-262-7。
- ^ a b Michael D. Gunther. “Northwest Corner, Preah Ko”. Old Stones: The Monuments of Art History. art-and-archaeology.com. 2015年2月1日閲覧。
- ^ a b c d 石澤 (2005)、57頁
- ^ a b c d e 波田野 (2007)、181頁
- ^ Rooney (2011), pp. 270-272
- ^ “Preah Ko”. The Kingdom of Cambodia. Canby Publications. 2015年2月1日閲覧。
- ^ a b 石澤 (2005)、49頁
- ^ 波田野 (2007)、179頁
- ^ 石澤 (2005)、52-56頁
- ^ 石澤 (1996)、49頁
- ^ 石澤 (1996)、50頁
- ^ 石澤 (2005)、56-57頁
- ^ 波田野 (2007)、179-180頁
- ^ 石澤 (2005)、57-61頁
- ^ “Restoration Work Sites - Preah Ko worksite”. Yashodhara no. 6: January - June 2002. APSARA Authority (2005年). 2015年2月1日閲覧。
- 1 プリア・コーとは
- 2 プリア・コーの概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
- プリア・コーのページへのリンク