フリードリヒ・ニーチェ ナチズムへの利用

フリードリヒ・ニーチェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 07:04 UTC 版)

ナチズムへの利用

ニーチェの思想は妹のエリーザベトがニーチェのメモをナチスに売り渡した事でナチスのイデオロギーに利用されたが、そもそもニーチェは、反ユダヤ主義に対しては強い嫌悪感を示しており、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者として知られていたベルンハルト・フェルスターと結婚したのち、1887年には次のような手紙を書いている。

お前はなんという途方もない愚行を犯したのか――おまえ自身に対しても、私に対してもだ! お前とあの反ユダヤ主義者グループのリーダーとの交際は、私を怒りと憂鬱に沈み込ませて止まない、私の生き方とは一切相容れない異質なものだ。……反ユダヤ主義に関して完全に潔白かつ明晰であるということ、つまりそれに反対であるということは私の名誉に関わる問題であるし、著書の中でもそうであるつもりだ。『letters and Anti-Semitic Correspondence Sheets』[注 11]は最近の私の悩みの種だが、私の名前を利用したいだけのこの党に対する嫌悪感だけは可能な限り決然と示しておきたい。

また、1889年1月6日ヤーコプ・ブルクハルト宛ての最後の書簡は、「ヴィルヘルムビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」と記している。主著『善悪の彼岸』の「民族と祖国」ではドイツ的なるものを揶揄して、「善悪を超越した無限性」を持つユダヤ人にヨーロッパは感謝せねばならず、「全ての疑いを超えてユダヤ人こそがヨーロッパで最強で、最も強靭、最も純粋な民族である」などと絶賛し、さらには「反ユダヤ主義にも効能はある。民族主義国家の熱に浮かされることの愚劣さをユダヤ人に知らしめ、彼らをさらなる高みへと駆り立てられることだ」とまで書いている。にもかかわらずナチスに悪用されたことには、ナチスへ取り入ろうとした妹エリーザベトが、自分に都合のよい兄の虚像を広めるために非事実に基づいた伝記の執筆や書簡の偽造をしたり、遺稿『力への意志』が(ニーチェが標題に用いた「力」とは違う意味で)政治権力志向を肯定する著書であるかのような改竄をおこなって刊行したことなどが大きく影響している。

しかしながら、ルカーチ・ジェルジや戦後に刊行のトーマス・マンの、ニーチェをモデルにした小説『ファウストゥス博士』において、ニーチェをナチズムと結びつけて捉えるべきかのように示唆する観点をもつ研究者や作家も存在する。

とくにそれは優生学に基づいた政策を人間に当てはめることを肯定する態度に表れている。

これもまた人間愛の戒律の一つ。――子供を産むのが犯罪となるかもしれない場合がある。最強度の慢性疾患や神経衰弱症の場合である。どうしたらいいのか? (中略) 結局は、ここで果たすべき義務﹅﹅は社会にある。これほど社会に対する切実で、根本的な要求はあまりない。社会は、生命の偉大な委任統治者として、あらゆる失敗した生命の責任を、生命自体に対して﹅﹅﹅負うべきなのだ。――またその償いをしなければならない。したがって﹅﹅﹅﹅﹅、社会はそうしたものを阻止しなければならない。社会は多数の場合に生殖行為を予防しなければならない。さらにまた、素ママ、階級、知能を顧慮することなく、きわめて手きびしい強制処置、自由剥奪、場合によっては去勢手段にも訴える用意が要る。(中略) 生命そのものは、一有機体の健全な部分と退化変質した部分との間にいかなる連帯性も、いかなる「平等な権利」も認めない。変質した部分は切除﹅﹅されなければならない。
Mp ⅩⅥ4d. Mp ⅩⅦ7. WⅡ7b. ZⅡ1b. WⅡ6c.フリードリッヒ・ニーチェ 著、氷上英廣 訳『ニーチェ全集 第12巻 (第II期) 遺された断想 (1888年5月-1889年初頭)』白水社、1985年8月30日、125-126頁。 [注 12][注 13]
(前略) すべての生の廃棄物やごみ屑に対して憐れみを持たぬ﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅こと、上昇する生に対するたんなる妨害物であり、毒物であり、陰謀であり、潜伏的な敵対者であるものの打倒を求める
フリードリッヒ・ニーチェ、Mp ⅩⅥ4d. Mp ⅩⅦ7. WⅡ7b. ZⅡ1b. WⅡ6c.フリードリッヒ・ニーチェ 著、氷上英廣 訳『ニーチェ全集 第12巻 (第II期) 遺された断想 (1888年5月-1889年初頭)』1985年8月30日、140頁。 

ナチスはユダヤ人虐殺以前に、障害者を強制「断種」して、 その後、精神病院にガス室をつくって障害者を多数「安楽死」させていた。T4作戦も参照。上記のニーチェの思想はナチスの行為を正当化するものとの誤解を与えかねないものであった。


注釈

  1. ^ 命日に関しては、他にも様々な主張がある。
  2. ^ 卒業生には、ゴットフリート・ライプニッツヨハン・ゴットリープ・フィヒテレオポルト・フォン・ランケシュレーゲル兄弟などがいる。
  3. ^ ただし、普仏戦争1870年 - 1871年)中の一時期だけはプロイセン軍に従軍し、トラウマにもなる経験をしたうえにジフテリア赤痢を患ったりもしている。
  4. ^ 1919年ノーベル文学賞を受賞した作家。処女作『プロメテウスとエピメテウス』はしばしば『ツァラトゥストラ』からの影響が指摘される。
  5. ^ ニーチェはケラーの教養小説緑のハインリヒ』を、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ作『ヴィルヘルム・マイスター』やアーダルベルト・シュティフター作『晩夏』とともにドイツ文学の中で最も高く評価している。
  6. ^ ニーチェは1886年に『善悪の彼岸』をテーヌに寄贈し、後日テーヌから好意的な礼状を受け取っている。
  7. ^ 『道徳の系譜』を寄贈されたことがニーチェとの交流の契機となった。
  8. ^ キェルケゴールはニーチェが著述活動を始める前の1855年に亡くなっているうえ、ニーチェはこの後すぐに発狂してしまったため、ともに「実存主義の始祖」として知られる2人は互いの思想に触れることがなかったと長らく信じられてきた。しかし、その後の研究の結果、キェルケゴールの思想を解説・批評した二次資料のいくつかをニーチェが読んでいたことが明らかになっている。
  9. ^ ニーチェ自身がいかに神聖視されたくないかを『この人を見よ』の中で語っていることに注意する必要がある。「私は聖者にはなりたくない。道化のほうがまだましだ」
  10. ^
    五、
    世の中に怨は怨にて息むべきやう無し。無怨にて息む、此の法易はることなし。 — 荻原雲来訳註
    法句經
    第一 雙敍の部
  11. ^ 引用者訳注:ニーチェの思想を歪曲して利用したらしい反ユダヤ主義文書。
  12. ^ 元は『偶像の黄昏』の校正稿に入っていたものをニーチェが自分で抜き出した原稿[24]。傍点は引用文献のまま。記号の意味については引用文献を参照のこと。
  13. ^ エリーザベト・ニーチェが捏造した『力への意志』では734番に充てられている。734番はニーチェが『偶像の黄昏』校正稿から抜いた原稿と同じ内容である。『力への意志』日本語訳では次のように書かれている。
    人間愛のいま一つの命令﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅。――子を産むことが一つの犯罪となりかねない場合がある。強度の慢性疾患や精神薄弱症にかかっている者の場合である。そのときにはどうしたらいいのか?(中略) 社会は、生の大受託者として、生自身に対して﹅﹅﹅生のあらゆる失敗の責任を負うべきであり、――またそれを贖うべきである、したがってそれを防止すべき﹅﹅である。しかもその上、血統、地位、教育程度を顧慮することなく、最も冷酷な強制処置、自由の剥奪、 事情によっては去勢をも用意しておくことが許されている。(後略)
    フリードリッヒ・ニーチェ、フリードリッヒ・ニーチェ 著、原佑 訳、信太正三・原佑・吉沢伝三郎 編『ニーチェ全集 権力への意志 (下) すべての価値の価値転換の試み』理想社、1962年、216-217頁。 傍点は原文のまま。
  14. ^ 第18週、90回、2022年8月12日放送。レストラン名はイタリア語 “alla fontana“ (「泉」、「泉にて」、「泉へ」)。箴言の題は、“Unverzagt“ (「意気盛ん」、「気後れせずに」、「臆することなく」)。箴言は4行であるが、番組ではその前半部がレストランのオーナー自身によって「汝の立つ処深く掘れ、/ そこに必ず泉あり」と紹介されている。なお、原文は „Wo du stehst, grab tief hinein! / Drunten ist die Quelle!“ Die fröhliche Wissenschaft (projekt-gutenberg.org) 2022年8月15日閲覧。信太正三訳(『ニーチェ全集』8 理想社1980年、20頁)では「ひるまずに」と題して「お前の立つところを 深く掘り下げよ! / その下に 泉がある!」と訳されている。その後には、「「下はいつも――地獄だ!」、と叫ぶのは、/ 黒衣の隠者流に まかせよう。」と続く。

出典

  1. ^ a b Hecker, Hellmuth: "Nietzsches Staatsangehörigkeit als Rechtsfrage", Neue Juristische Wochenschrift, Jg. 40, 1987, nr. 23, pp. 1388–91.
  2. ^ a b His, Eduard: "Friedrich Nietzsches Heimatlosigkeit", Basler Zeitschrift für Geschichte und Altertumskunde, vol. 40, 1941, pp. 159-186
  3. ^ 『現代独和辞典』三修社、1992年、第1354版による。
  4. ^ 『人と思想22ニーチェ』第26刷p47-48
  5. ^ 『ニーチェ全集 第14巻 この人を見よ・自伝集』理想社 第一版第五刷、pp.166-168
  6. ^ 『人と思想22ニーチェ』第26刷p50-51
  7. ^ 『ニーチェ全集 第14巻 この人を見よ・自伝集』理想社 第一版第五刷、pp.170-171
  8. ^ 『ニーチェ全集 第14巻 この人を見よ・自伝集』理想社 第一版第五刷、pp.166-168,184-185,198
  9. ^ 『人と思想22ニーチェ』第26刷p52
  10. ^ 『人と思想22ニーチェ』第26刷p63 - 64
  11. ^ 『人と思想22 ニーチェ』第26刷p108
  12. ^ a b c 小坂国継,岡部英男 編著 2005, p. 207.
  13. ^ 小坂国継,岡部英男 編著 2005, p. 208.
  14. ^ a b 小坂国継,岡部英男 編著 2005, p. 210.
  15. ^ 川鍋征行「ニーチェの仏教理解」『比較思想研究 』第8巻 pp.44-46
  16. ^ 塚越敏訳、書簡集1、ニーチェ全集第一五巻。二九〇頁。
  17. ^ 川原栄峰訳『この人をみよ』ニーチェ全集第一四巻、理想社、三〇頁。
  18. ^ 原佑 1980, pp. 165–166
  19. ^ 原佑 1980, pp. 162–163
  20. ^ 原佑 1980, pp. 164
  21. ^ 原佑訳「権力への意志」ニーチェ全集一一巻、理想社、一五四。
  22. ^ 信太正三訳『悦ばしき知識』ニーチェ全集第八巻、理想社、第三、一〇八。
  23. ^ Sämtliceh Werke Kritische Studienausgabe. Band 10, Herausgegeben von Giorgio Colli und Maggino Montinari. p.109
  24. ^ フリードリッヒ・ニーチェ 著、氷上英廣 訳『ニーチェ全集 第II期第12巻 遺された断想 (1888年5月-1889年初頭)』白水社、1985年8月30日、125頁。 
  25. ^ ハンス・キッペンベルク『宗教史の発見 宗教学と近代』158頁/166頁-169頁(月本昭男久保田浩渡辺学共訳 岩波書店、2005年)
  26. ^ 井戸田総一郎「ニーチェーーピアノと文体」〔Brunnen. Juni 2023, Nr.530 Ikubundo(郁文堂)3-5頁、引用は3頁。〕
  27. ^ 渡邊二郎「ニーチェ全集の歴史」渡邊二郎・西尾幹二編『ニーチェを知る事典 その深淵と多面的世界』ちくま学芸文庫、2013年。三島憲一「さまざまなニーチェ全集について」『ニーチェ事典』弘文堂、1995年。






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