フィリッピの戦い 文献・著作からの引用

フィリッピの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/22 18:49 UTC 版)

文献・著作からの引用

『ブルトゥスとカエサルの亡霊』、Brutus and the Ghost of Caesar、Edward Scrivenによる1802年の作品

プルタルコスは「英雄伝」の中で、「フィリッピの戦いの数ヶ月前のある夜、ブルトゥスは目の前に巨大な亡霊が現れたため、ブルトゥスが「何のようだ?」と尋ねると、亡霊は「私はブルトゥス、お前の悪霊だ。フィリッピで会うことになるだろう」と答えた。ブルトゥスは戦闘の前夜に再び亡霊とあった」と記している[10][31]

この逸話はイングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の作中で最も有名な場面の一つである[32]

カッシウス・ディオはブルトゥスがギリシアの悲劇より引用した最期の言葉を以下のように伝えている。「不運で高潔な人よ、私の名前は本当の人として崇拝されていたのに、今は運命の奴隷になってしまった」[33]

オクタウィアヌスは後に自著「レス・ゲスタエ」(Res Gestae)の中でフィリッピの戦いについて、「私は父(ユリウス・カエサル)の殺害者らを国外へ追放して裁判の場でその犯罪を断罪した。然る後に、共和国に対して彼らが起こした戦闘で2度戦い、勝利を収めた」と自ら振り返っている[34]

原典(1次出典)

参考資料


  1. ^ カエサル暗殺後にカッシウスらはマケドニアを実効支配していたが、紀元前43年2月に元老院より正式にマケドニア属州総督の割り当てを受けた[2][3]
  2. ^ 降服したブルトゥス軍の将校に対するオクタウィアヌスの冷酷な対応により、ブルトゥス軍の将校はアントニウスに敬意を表した一方、オクタウィアヌスへは痛烈な罵倒を浴びせたとの事例をスエトニウスは紹介している。[25]
  3. ^ アントニウスは合戦でリベラトレス側で参戦したオリエント諸国へ渡って、各地の支配者と会談した。その中にはプトレマイオス朝クレオパトラ7世も含まれていた[27]
  1. ^ プルタルコス「英雄伝」キケロ47
  2. ^ キケロ「ピリッピカ」10
  3. ^ ウェッレイウス 2.62
  4. ^ a b c ウェッレイウス 2.69
  5. ^ プルタルコス「英雄伝」アントニウス 25
  6. ^ a b ウェッレイウス 2.64
  7. ^ プルタルコス「英雄伝」アントニウス 21
  8. ^ a b プルタルコス「英雄伝」ブルトゥス 38
  9. ^ アッピアノス「Civil Wars」4.108
  10. ^ a b プルタルコス「英雄伝」カエサル69
  11. ^ a b プルタルコス「英雄伝」アントニウス 22
  12. ^ a b プルタルコス「英雄伝」ブルトゥス 42
  13. ^ a b c d ウェッレイウス 2.70
  14. ^ アッピアノス「Civil Wars」4.112
  15. ^ プルタルコス「英雄伝」ブルトゥス44
  16. ^ a b プルタルコス「英雄伝」ブルトゥス 47
  17. ^ プルタルコス「英雄伝」クラッスス 18
  18. ^ ウェッレイウス 2.46
  19. ^ a b プルタルコス「英雄伝」ブルトゥス 52
  20. ^ スエトニウス「皇帝伝」アウグストゥス13
  21. ^ プルタルコス「英雄伝」ブルトゥス 53
  22. ^ プルタルコス「英雄伝」ブルトゥス 28
  23. ^ プルタルコス「英雄伝」ブルトゥス 49
  24. ^ ウェッレイウス 2.71
  25. ^ スエトニウス「皇帝伝」アウグストゥス 13
  26. ^ アッピアノス「Civil Wars」5.1
  27. ^ プルタルコス「英雄伝」アントニウス 24
  28. ^ ウェッレイウス 2.72
  29. ^ ウェッレイウス 2.76
  30. ^ ウェッレイウス 2.77
  31. ^ プルタルコス「英雄伝」ブルトゥス 36
  32. ^ シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」4.3
  33. ^ カッシウス・ディオ「Historia Romana」47.49
  34. ^ アウグストゥス「Res Gestae」2






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