トライバル級駆逐艦 (2代) 活動

トライバル級駆逐艦 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 03:02 UTC 版)

活動

1940年

1940年2月6日、「コサック」は中立国であったノルウェーの領海内までドイツ船「アルトマルク」を追跡し、乗り込んで乗員を殺害した。これをアルトマルク号事件という。4月9日、「グルカ」がノルウェーのスタヴァンゲル沖でドイツ軍機によって撃沈され、5月3日にも「アフリディ」がノルウェーのナムソスからの撤退作戦中にドイツ軍のJu87急降下爆撃機によって沈められた。5月13日、「ベドウィン」、「パンジャビ」、「エスキモー」、「コサック」は第2次ナルヴィク海戦に参加し、「エスキモー」が大破した。

1941年

5月、「ソマリ」はドイツの気象通報船「ミュンヘン (München)」を捕獲し、暗号書を手に入れた。同月、「ズールー」、「シーク」、「コサック」、「マオリ」はドイツ戦艦「ビスマルク」の追撃戦に参加し、この作戦中に「マシオナ」がドイツ軍機によって撃沈された。地中海では4月に「モホーク」がイタリア駆逐艦「ルカ・タリゴ」に沈められた。10月、「コサック」がHG74船団護衛中にジブラルタル西方の大西洋でドイツ潜水艦「U563」に雷撃され、曳航中に沈没した。12月、「マオリ」、「シーク」は他の駆逐艦2隻と共にボン岬沖海戦でイタリア軽巡洋艦「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」と「アルベリコ・ダ・バルビアーノ」を沈めた。

1942年

1月17日に「マタベレ」がバレンツ海でドイツ潜水艦「U454」に撃沈され、2月12日には「マオリ」がマルタで爆撃により喪失。5月には「パンジャビ」が濃霧の中で戦艦「キング・ジョージ5世」に衝突され沈んだ。6月、ハープーン作戦に参加中の「ベドウィン」がイタリア海軍との交戦で損傷、その後空襲で沈没した。9月、「シーク」と「ズールー」がトブルク攻撃時に沈没した。同月、QP14船団を護衛中の「ソマリ」がドイツ潜水艦「U703」に雷撃され大破、「ターター」に曳航されたが4日後に沈没した。これがイギリス海軍のトライバル級の最後の喪失艦であった。

1943年

残存していた「アシャンティ」、「エスキモー」、「ヌビアン」、「ターター」は地中海に戻り、サレルノ上陸作戦(アヴァランチ作戦)を支援した。

1944年

「エスキモー」、「ヌビアン」、「ターター」はオーバーロード作戦前後の期間イギリス海峡で活動した。4月、「アサバスカン」がイギリス海峡で戦没した。ヨーロッパ方面での海上戦終結後、「エスキモー」、「ヌビアン」、「ターター」はマレー半島沖で活動した。

戦後

記念館として保存されている「ハイダ」
兵装や電子装備は、DDE改装適用後のものである。

イギリス海軍の残存艦は戦後6年間使われた後スクラップとなった。オーストラリア海軍とカナダ海軍の船は「ミクマック」を除き朝鮮戦争に参加した。

カナダ海軍では、1949年から1950年代前半にかけて残存する7隻全てがDDE改修を受けた。1番・2番砲塔はQF 4インチ Mk.XVI 連装砲、3番砲塔はアメリカ製Mk.33 3インチ連装砲にそれぞれ換装され、4番砲塔を撤去して空いたスペースにはスキッド対潜迫撃砲が2基搭載された。レーダーとソナーの換装も行われ、1960年代前半まで運用が続けられた[12]。退役後も「ハイダ」がカナダのオンタリオ州ハミルトンにて記念館として保存されている。

オーストラリア海軍においても、1950年代初めごろに「アランタ」と「ワラムンガ」の2隻が対潜駆逐艦として改修された。4番砲塔の4.7インチ連装砲を撤去して空いたスペースにスキッド対潜迫撃砲を1基搭載したほか、ソナーとレーダーの換装に伴い、マストを従来の三脚型マストから新型のラティスマストに換装した。この2隻は、1960年代まで運用が続けられた[13][14]。残る1隻の「バターン」の近代化改修は見送られ、他の2隻よりも早い1958年に退役した[15]


注釈

  1. ^ 「フリゲート」は、後に新しい船団護衛艦のための艦種呼称として復活し、リバー級より採用された。
  2. ^ 1940・1941年に起工された4隻はイギリスで、1942年~1944年に起工された4隻はカナダ国内で建造された。
  3. ^ 3隻ともオーストラリア国内で建造された。
  4. ^ a b c d e f g DDE改修後に与えられた新ペナント・ナンバー
  5. ^ 建造当初の艦名はアサバスカン(HMCS Athabaskan)
  6. ^ 建造当初の艦名はイロコイ (HMCS Iroquois)
  7. ^ 建造当初の艦名はカーネイ (HMAS Kurnai)

出典

  1. ^ a b 中川務「イギリス駆逐艦史」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、 78-81頁、 ISBN 978-4905551478
  2. ^ Roger Chesneau, Robert Gardiner (1980). Conway's All the World's Fighting Ships 1922-1946. Naval Institute Press. pp. 40-41. ISBN 978-0870219139 
  3. ^ a b c d e f g h i Norman Friedman (2012). “BEGINNING THE SLIDE TOWARDS WAR”. British Destroyers & Frigates: The Second World War & After. Naval Institute Press. pp. 22-35. ISBN 978-1473812796 
  4. ^ 中川務「イギリス駆逐艦建造の歩み」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、 149-155頁、 ISBN 978-4905551478
  5. ^ Friedman, Norman (2009). “A New Standard Design - The A-I Series”. British Destroyers From Earliest Days to the Second World War. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-081-8 
  6. ^ 岡田幸和「船体 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、 158-163頁、 ISBN 978-4905551478
  7. ^ a b 「トライバル級(イギリス) (特集・特型駆逐艦とそのライバルたち)」『世界の艦船』第664号、海人社、2006年10月、 90-93頁、 NAID 40007446605
  8. ^ a b 阿部安雄「機関 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、 164-171頁、 ISBN 978-4905551478
  9. ^ a b 高須廣一「兵装 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、 172-179頁、 ISBN 978-4905551478
  10. ^ a b c ホイットレー, M.J. 『第二次大戦駆逐艦総覧』岩重多四郎(訳)、大日本絵画、2000年、114-115頁。ISBN 4-499-22710-0 
  11. ^ a b c 岡部いさく 『英国軍艦勇者列伝 Legend of British Fighting Ship』大日本絵画、2012年6月、104-106頁。 
  12. ^ Canadian Navy of Yesterday and Today - TRIBAL Class
  13. ^ オーストラリア海軍公式サイト HMAS Arunta (I)
  14. ^ オーストラリア海軍公式サイト HMAS Warramunga (I)
  15. ^ オーストラリア海軍公式サイト HMAS Bataan





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