トマス・グレーブス フランス革命戦争とナポレオン戦争

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トマス・グレーブス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 03:54 UTC 版)

フランス革命戦争とナポレオン戦争

アメリカ独立戦争後、グレーブスはフランスで主に過ごした。フランス革命戦争の初期には召集されなかったが、1800年10月になって、ジョン・ジャーヴィス指揮下にある海峡艦隊の74門艦カンバーランドに配属された、この任務は数か月間程度のものだった。1801年1月1日白色少将となり、3月には64門艦パリフィーマスに旗をなびかせた、この艦はハイド・パーカーの下バルト海に向かう艦隊の1隻だった[1]

提督への昇進と晩年

1801年のコペンハーゲンの海戦

グレーブスはその後デフィアンスに移り、1801年4月2日コペンハーゲンの海戦で、ホレーショ・ネルソンの副指揮官となった[注釈 3]。この大事な海戦での働きで、議会から感謝の議決を受け、バス勲章を授与された。7月の終わりにかけて艦隊はバルト海を離れたが、この作戦中の大部分に健康を害していたグレーブスは、イギリスに戻って第一線から退いたが、1804年10月から1805年2月にかけて、ビスケー湾を航海したフードロイヤント英語版艦長のクリストファー・ネシャム英語版は、グレーブスの提督旗を自艦に掲げていた。グレーブスは1805年9月には中将となり、1812年8月2日大将に昇進した[1]

グレーブスは2度結婚したが、子供は娘が1人だけだった。1814年3月29日、ホニトン近くのウッドバインヒルの自宅で死去した。

参考文献

 この記事はパブリックドメインの辞典本文を含む: Laughton, John Knox (1890). "Graves, Thomas (1747?-1814)". In Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). 22. London: Smith, Elder & Co. pp. 440–441.


  1. ^ 実際には男爵の叙爵はそのかなり後だが、両者が同姓同名で紛らわしいため、区別のためこの称号を使っている。
  2. ^ 英語版ではProtectorとある。
  3. ^ 最高指揮官がパーカーなので、次席指揮官ネルソン、三席指揮官グレーブスとなる[3]
  1. ^ a b c d e f Laughton
  2. ^ BEATSON, Nav. and Mil. Mem. iv. 72
  3. ^ 小林幸雄著 『図説 イングランド海軍の歴史』 原書房、2007年、426頁。


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