トマス・グティエレス・アレアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > トマス・グティエレス・アレアの意味・解説 

トマス・グティエレス・アレア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/08 02:25 UTC 版)

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はグティエレス第二姓(母方の)はアレアです。
トマス・グティエレス・アレア
Tomás Gutiérrez Alea
生年月日 (1928-12-11) 1928年12月11日
没年月日 (1996-04-17) 1996年4月17日(67歳没)
出生地 ハバナ
国籍  キューバ
職業 映画監督
主な作品
低開発の記憶 メモリアス』(1968年)
 
受賞
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(審査員グランプリ)
1994年苺とチョコレート
テディ賞 観客賞
1994年『苺とチョコレート』
その他の賞
テンプレートを表示

トマス・グティエレス・アレアTomás Gutiérrez Alea, 1928年12月11日 - 1996年4月17日)は、キューバ映画監督ハバナ出身。愛称は「ティトン」(Titon)。

略歴

1951年にハバナ大学を卒業後、フリオ・ガルシア・エスピノーサとともに表現が禁圧されていたバティスタ独裁政権下のキューバを離れ、ローマの映画実験センター(チェントロ)に留学し、ネオ・リアリズムの息吹に触れる。1953年に同センターを卒業した。同時期のチェントロにはアルゼンチンの若きフェルナンド・ビリ、コロンビアのガルシア=マルケスも在籍していた。

1959年のキューバ革命後に数々の作品を発表、国内のみならずラテンアメリカ映画界を代表する監督となる。

代表作に、キューバ危機の最中にあって何事にも無関心な男の精神的危機を描く『低開発の記憶 メモリアス』、自由主義者で芸術家のゲイ青年と、強硬な共産主義者の大学生の交流を描いた『苺とチョコレート』などがある。

おもなフィルモグラフィ

  • われらの土地 (1959)短篇
  • レボルシオン 革命の物語 Historias de la revolución (1960)
  • 12の椅子 (1962)
  • ある官僚の死 (1966)
  • 低開発の記憶 メモリアス Memorias del Subdesarrollo (1968)
  • 最後の晩餐 (1977)
  • 天国の晩餐 Los sobrevivientes (1978)
  • 公園からの手紙 Cartas del parque (1988)
  • 苺とチョコレート Fresa y chocolate (1993、フアン・カルロス・タビオと共同監督)

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「トマス・グティエレス・アレア」の関連用語

トマス・グティエレス・アレアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



トマス・グティエレス・アレアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトマス・グティエレス・アレア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS