トマス・クレイトン・デイビスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > トマス・クレイトン・デイビスの意味・解説 

トマス・クレイトン・デイビス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/27 16:57 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

トマス・クレイトン・デイビス(Thomas Clayton Davis, 1889年9月6日 - 1960年1月21日[1])は、カナダ法律家外交官政治家である。1925年から1939年までサスカチュワン州議会でプリンスアルバート選出の自由党議員を務めた。

デイビスはサスカチュワン州プリンスアルバートに生まれた。父親はトマス・オズボーン・デイビスである。彼はセントジョンズ・カレッジ(マニトバ大学)とオスグッド・ホール法科大学院ヨーク大学)を卒業した。デイビスはプリンスアルバートで法曹界に入り、市会議員を2期務め、1921年から1924年には市長にもなった。デイビスはまた州政府の自治長官と司法長官も務めている。彼はマッケンジー・キング首相に対してプリンスアルバート国立公園の設置を説得した。この公園は1928年に開設されている。1929年にはデイビスはジョン・ディーフェンベーカー(のちのカナダ首相)を破り、州議会の議席を守った。彼は1939年にはサスカチュワン控訴裁判所判事になるために州議会議員を辞職している。デイビスは1940年には連邦政府の戦時動員省次官になり[1]、法曹界を離れたが、1948年までは控訴審に籍が残っていた[2]。彼は1942年にオーストラリアへの高等弁務官に任命された。その後、1946年には中国、1950年にはドイツ、1954年には日本大使にもなった[3]。1957年に引退し、ビクトリアに居を移した[1]

脚注

  1. ^ a b c Quiring, Brett. “Davis, Thomas Clayton (1889–1960)”. Davis, Thomas Clayton (1889–1960). University of Regina. http://esask.uregina.ca/entry/davis_thomas_clayton_1889-1960.html 2012年11月26日閲覧。. 
  2. ^ The Honourable Thomas Clayton Davis”. Courts of Saskatchewan. 2005年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月26日閲覧。
  3. ^ Davis, Hon. Thomas Clayton (Non-career), Heads of Post List”. Foreign Affairs and International Trade Canada. 2012年11月26日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「トマス・クレイトン・デイビス」の関連用語

トマス・クレイトン・デイビスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



トマス・クレイトン・デイビスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトマス・クレイトン・デイビス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS