スイアブ 歴史

スイアブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 03:57 UTC 版)

歴史

ジュンガル盆地からイリ地方を経由して西方に向かう交易路、トランスオクシアナ方面から東方のジュンガリア、イリ、モンゴル高原に向かう交易路、中国からタリム盆地を通り、ベデル峠ロシア語版道で天山山脈に向かう交易路の交差点に、スイアブは位置していた[5]。3つの交易路が交わるスイアブは国際的に重要な都市となり、東西交易史上に残る大市場として繁栄した[5]。西方の商人が居住するスイアブはある種の商業植民地を形成し、遊牧民族の諸政権は商人たちとの妥協の上でスイアブを支配下に置いていたと考えられる[5]

唐の進出

以前からスイアブは中継交易の拠点として存在していたが、6世紀突厥の台頭以降、町の重要性はより高まる[3]。突厥はスイアブを西方に進出するための軍事基地に選び、西突厥の本拠地にも定められる[5]679年、タリム盆地に進出した唐軍によってスイアブは占領され、「#碎葉鎮[7]と改称されて719年まで〈安西四鎮〉の一つに数えられた[5]。唐の支配下のスイアブでは大規模な築城が実施され、武則天の治世には、スイアブに大雲寺が建立される。スイアブは遊牧民、パミール高原以西の国家との通交の拠点とされたが、テュルク系遊牧民の攻撃によって不安定な状況下に置かれていた[3]

唐の衰退後、突騎施(テュルギシュ)がスイアブを占領して本拠地とし、西方から進出するイスラーム勢力に対抗した[3]カルルクが台頭した10世紀には国際交易都市の機能はベラサグンに移り、スイアブは衰退する[3]


  1. ^ latitude.to 2023
  2. ^ a b 発音はpinyin: Suìyè; Wade–Giles: Sui4-yeh4[1]
  3. ^ a b c d e f 『シルクロード事典』, pp. 157–158
  4. ^ a b c 長澤, 「スイアブ」
  5. ^ a b c d e f 松田「スイアブ」『アジア歴史事典』5巻、100頁
  6. ^ 『読む事典シルクロードの世界』 2019, p. 42
  7. ^ 齊藤 2021, pp. 69–83
  8. ^ a b Семенов 2003, pp. 218–222
  9. ^ a b 柿沼 2019, pp. 43–59
  10. ^ Горячева, Перегудова, pp. 187–188, キルギスタンの仏教遺跡
  11. ^ Kyzlasov 1959, pp. 231–233
  12. ^ Semyonov 1999, pp. 70–74





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