ジャン・リュク・ド・アシェリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/28 13:54 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ピカルディのサン=カンタン出身。幼少より修道士としての修業を重ねる。病弱な体ながら、後にパリのサン・ジェルマン・デ・プレ修道院の図書館司書を45年の長きにわたり務めた。サンモール学派の創設者グレゴアール・タリスの遺命を受けて、ベネティクト会の歴史に関する史料の収集・整理に務める一方で、『ガリア文書拾遺』(“Veterum aliquot scriptorum qui in Galliæ bibliothecis, ni maxime Benedictinorum, latuerant, Spicilegium”、13巻(1655年-1677年)、増補3巻(1723年))などを編纂した。
アシェリの周辺では学術サロンとしての活動が展開され、コルベールなどもメンバーに加わっていた。アシェリが整理した資料を元にして、門人であるジャン・マビヨンがベネティクト会の歴史をまとめた『聖ベネディクト修道会聖人伝』を著した。
参考文献
- 出村彰「アシェリー、ジャン・リュク・ド」(『キリスト教人名辞典』(日本基督教団出版局、1986年))
- 佐藤真一『ヨーロッパ史学史 -探究の軌跡-』(知泉書館、2009年) ISBN 978-4-86285-059-1 P184-189
|
- 1 ジャン・リュク・ド・アシェリとは
- 2 ジャン・リュク・ド・アシェリの概要
固有名詞の分類
カトリック教会の人物 |
マルムズベリーのエイルマー レイモンド・エドワード・ブラウン ジャン・リュク・ド・アシェリ ラモン・ノヴァロ ホセ・アントニオ・ウリャテ・ファボ |
フランスの歴史学者 |
エマニュエル・トッド ジョルジュ・ルフェーブル ジャン・リュク・ド・アシェリ エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ ミシェル・ヴォヴェル |
図書館員 |
ジョン・ショウ・ビリングス ローラ・ブッシュ ジャン・リュク・ド・アシェリ カエサル・バロニウス アントニオ・パニッツィ |
- ジャン・リュク・ド・アシェリのページへのリンク