ジム・リーランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 10:26 UTC 版)
2015年8月1日 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オハイオ州ウッド郡 |
生年月日 | 1944年12月15日(79歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 175 lb =約79.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1963年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
MLB出場なし | |
監督・コーチ歴 | |
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選出年 | 2024年 |
得票率 | 93.75% |
選出方法 | ベテランズ委員会選出 |
この表について
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経歴
現役時代は捕手として、1964年から1970年までの6年間タイガース傘下マイナーでプレー。AA級が最高でメジャー経験はなかったが、26歳でマイナーの監督になったのを手始めにコーチ、監督を歴任。
1982年から1985年までシカゴ・ホワイトソックスのコーチ、1986年から1996年までピッツバーグ・パイレーツの監督を歴任。バリー・ボンズとボビー・ボニーヤの「B-Bキャノン」で1990年から3年連続地区優勝を果たすも、ワールドシリーズには出場出来ず。
1996年オフ、同郷のデーブ・ドンブロウスキーGMに誘われフロリダ・マーリンズの監督に就任。同GMの積極的な補強もあり、就任1年目でワイルドカードから世界一に輝く(球団創設5年目での世界一は当時史上最速)。しかしチームは財政難のためオフに主力を大量放出し、1998年は54勝108敗で地区最下位に終わる。
1999年にマーリンズと同じく1993年創設のコロラド・ロッキーズに招かれ、3年契約で監督就任。しかし、1年目を終えた時点でモチベーションの低下を理由に『余生を家族と過ごしたい』と突然辞任。その後はセントルイス・カージナルスの非常任スカウトを務めてこそいたものの、実質的には球界からほぼ引退していた。
ところが2006年、再びドンブロウスキーGMの要請でデトロイト・タイガースの監督に就任。6年間の充電期間で取り戻したかつての情熱をタイガースに注入し、チームの意識改革に成功。チームをまとめ挙げ、開幕から驚異の快進撃を続ける。そして、タイガースはリーランドの元、2006年10月14日にオークランド・アスレチックスを下し、アメリカン・リーグ優勝を果たした。カージナルスとのワールドシリーズでは惜しくも敗れた(勝っていれば、両リーグ世界一監督となっていた)。 2011年から2013年まで3年連続で地区優勝し、2012年にはアメリカン・リーグ優勝を果たしワールドシリーズに出場するもサンフランシスコ・ジャイアンツの前に4連敗を喫し世界一を逃した。
選手掌握術に長けており、バリー・ボンズやゲーリー・シェフィールドといった名うてのトラブルメーカーもリーランドのもとでは大人しかった。ホワイトソックスのコーチ時代に当時のトニー・ラルーサ監督から薫陶を受け、選手掌握の何たるかを学んだという。
2010年のドラフトで、捕手である息子パトリックがタイガースから8巡目(全体253番目)で指名された。
2013年10月23日監督業を勇退した。何らかの形で球団に関わるだろうと語っている[1]。
2016年4月15日に第4回WBCのアメリカ合衆国代表監督を務めることが発表された[2]。
2023年12月4日、ベテランズ委員会の選出により、アメリカ野球殿堂入りを果たした[3]。
選手としての特徴
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- ^ Leyland steps down after eight years with Tigers MLB.com, October 21, 2013
- ^ Jim Leyland To Manage Team USA in 2017 World Baseball Classic Archived 2016年7月1日, at the Wayback Machine. USABaseball.com: The Official Site of USA Baseball (英語) (2016年4月15日) 2016年6月5日閲覧
- ^ “Leyland, postseason manager extraordinaire, elected to Hall” (英語). MLB.com. 2023-12‐05閲覧。
- 1 ジム・リーランドとは
- 2 ジム・リーランドの概要
- 3 詳細情報
- 4 脚注
固有名詞の分類
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