ゴールデンチケット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 02:47 UTC 版)
経歴
2008年10月19日、芝の競走でデビューし3着。勝ち上がるのは時間の問題と思われていたが、その後12月まで3戦して未勝利だった。
3ヵ月後の3月12日、船橋競馬の指定交流競走で圧勝し初勝利を挙げる。抽選で滑り込んだ毎日杯は実績から12番人気と評価が低かったが、2番手から粘りこみアイアンルックの2着と健闘[1]、皐月賞に出走可能な賞金を加算した。
皐月賞は逃げたが力の違いを見せ付けられる形で、11着と惨敗した。日本ダービー出走予定馬の賞金順で出走が確定的でなかったため、中1週で兵庫チャンピオンシップに出走。好スタートからダート5戦無敗のスーニをクビ差抑えて逃げ切った。そして、本番の日本ダービーでは3・4番手で追走するも7着に敗れた。その後、7月8日のジャパンダートダービーでは勝ったテスタマッタから6馬身差離された3着と完敗した。休養を挟んで、9月20日のセントライト記念では先行集団でレースを進めたが、直線で失速し14着と大敗した。中1週で10月3日のシリウスステークスでは2番手をキープし、直線粘って3着に入った。続く10月31日のブラジルカップではエーシンモアオバーの2着と好走した。12月6日のジャパンカップダートでは、高配当を演出する3着に入った[2][3]。続く東京大賞典では5着に敗れて[4]3歳シーズンを終えた。
明け4歳になり、初戦の川崎記念は好位からレースを進めたが4着に終わった。休養を挟んで8月8日の宮崎ステークスでは3番手追走から直線で一旦先頭に立つもゴール前でインバルコにかわされ2着に敗れた。
1年の長期休養を挟んで2011年10月9日の平城京ステークスで復帰、2番手追走も7着に敗れた。続く11月12日の赤富士ステークスでも5着に終わった。12月25日の2011フェアウェルステークスでは3着と好走した。
明け6歳になり、初戦のアレキサンドライトステークスでは2番手追走から4コーナーで先頭に立つとそのまま押し切って快勝した。4月29日のオアシスステークスでは後方から追い込んで4着となった。その後、屈腱炎が判明し引退。5月31日付で競走馬登録を抹消、埼玉県羽生市のホライゾンスポーツホースにて乗馬となる[5]。2016年時点では山形県の湯の町乗馬クラブに繋養されていた[6][7]。なお、湯の町乗馬クラブは2017年4月に休会している[8]。
- ^ “アイアンルックが“雪辱”/毎日杯”. スポーツニッポン. (2009年3月28日) 2022年1月30日閲覧。
- ^ “【JCダート】圧勝!エスポワールシチーが新ダート王”. スポーツニッポン. (2009年12月6日) 2022年1月30日閲覧。
- ^ “【JCダート】滑り込みチケットが「アッ」と言わせた”. スポーツニッポン. (2009年12月7日) 2022年1月30日閲覧。
- ^ “【東京大賞典】戦い終えて”. スポーツニッポン. (2009年12月30日) 2022年1月30日閲覧。
- ^ “ゴールデンチケット登録抹消…乗馬へ”. スポーツニッポン. (2012年6月1日) 2022年1月30日閲覧。
- ^ “湯の町乗馬クラブの特徴”. 湯の町乗馬クラブ. 2016年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月28日閲覧。
- ^ “オールレディース&シニアクラシック☆”. 湯の町乗馬クラブブログ. 2022年5月28日閲覧。
- ^ “役員・入退会及び登録内容変更クラブ”. 東北地区乗馬倶楽部振興会. 2022年5月28日閲覧。
固有名詞の分類
- ゴールデンチケットのページへのリンク