グリムニッツ条約 グリムニッツ条約の概要

グリムニッツ条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/20 01:19 UTC 版)

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グリムニッツ条約
署名 1529年8月26日
署名場所 ウッケルマルク英語版にあるJagdschloß Grimnitz(「グリムニッツの狩猟小屋」)
締約国 グライフ家ホーエンツォレルン家
主な内容 ポメラニア公国の法的地位と継承権を定めた
関連条約 ピュリッツ条約
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概要

条約は1493年のピュリッツ条約を更新[3]、改正した[2]

いくらか形式的な条項はあったものの[4]、グライフ家はポメラニア公国を帝国直属英語版で受け取り、ブランデンブルク選帝侯は継承権を獲得した[5]

条約はブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世とポメラニア公バルニム11世英語版ゲオルク1世英語版の間で、エーベルスヴァルデ近くのグリムニッツドイツ語版で締結され[6]神聖ローマ皇帝カール5世によって1530年のアウクスブルク帝国議会英語版で承認された[7]

背景

グライフ家ポメラニア公国ブランデンブルク選帝侯の封土として受け取るか、神聖ローマ皇帝から帝国直属英語版で受け取るかについてのブランデンブルク・ポメラニア紛争英語版は1493年にブランデンブルク選帝侯ヨハン2世とポメラニア公ボギスラフ10世英語版が締結したピュリッツ条約で暫定的に決着した。ピュリッツ条約は1472年と1479年のプレンツラウ条約で定められた、ポメラニア公のホーエンツォレルン家から公国を封土として受け取る義務を廃止したが、グライフ家が断絶した場合にホーエンツォレルン家に継承権を与えた[8]

ヨハン2世がピュリッツ条約を締結した思惑はボギスラフ10世に子供がなかったためすぐに継承できるとの考えだったが、ボギスラフ10世に子供が生まれてくると[9]、ヨハン2世は陰謀をめぐらし、ボギスラフ10世がすんなり帝国直属の地位を獲得できないようにした[10]。一方、神聖ローマ皇帝カール5世はブランデンブルク・ポメラニア紛争で片方を支持するでもなく、2家とも公国を与え、相応の税金を徴収した[11]。ボギスラフ10世が1523年に死去すると、2人の息子バルニム11世英語版ゲオルク1世英語版が共同でポメラニア公国を継承、統治した[12]。ブランデンブルクとの紛争もヨハン2世の後継者であるヨアヒム1世と継続した[13]

この問題により帝国議会で騒ぎが起こると、多くの貴族が調停を申し出[13]、最終的にはブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公エーリヒ1世ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公ハインリヒ1世の調停で条約が締結された[1]。条約はブランデンブルクが狩りで利用しているウッケルマルク英語版にあるJagdschloß Grimnitz(「グリムニッツの狩猟小屋」)で締結された[6]

条約の内容

ポメラニア公ゲオルク1世英語版

ヨアヒム1世はポメラニア公国が帝国直属であることを受け入れた[5][13]。ポメラニア公バルニム11世とゲオルク1世はグライフ家が断絶した場合にブランデンブルク選帝侯が継承する権利を承認した[5][13]

ポメラニア公の叙任はその前にブランデンブルクに通知しなければならず、ブランデンブルク選帝侯はポメラニア公が叙任式で神聖ローマ皇帝から受け取った旗に触れる権利を与えられた[13]。ブランデンブルク選帝侯はポメラニア貴族がポメラニア公に忠誠の誓いを行う儀式に代表を派遣する権利も得る[13]。また、ブランデンブルク選帝侯のポメラニアにおける確定残余権は皇帝から世襲権利として与えられる[13]。ポメラニア公が新しく叙任されるたびにこの条約が正式に宣言、更新されなければならない[13]

さらに、ブランデンブルク選帝侯はポメラニア公が居合わせていないときにポメラニア公の称号と紋章を使用する権利を得た[13]


  1. ^ a b Branig (1997), p. 94.
  2. ^ a b Schleinert (2007), p. 37.
  3. ^ a b Krause (1997), p. 44.
  4. ^ Schmidt (2007), p. 120.
  5. ^ a b c Schmidt (2007), p. 10.
  6. ^ a b Lucht (1996), p. 77.
  7. ^ Christian von Nettelbladt and Karl Friedrich Wilhelm von Nettelbladt: Nexus Pomeraniae cum S. R. G., oder Versuch einer Abhandlung von der Verbindlichkeit Pommerschen Landen, sonderlich Königlich-Schwedischen Antheils, mit dem Heilig-Römisch-Teutschen Reich. Garbe, Frankfurt/M. 1766, pp. 156-160.
  8. ^ Heitz (1995), p. 202.
  9. ^ Materna (1995), p. 260.
  10. ^ Stollberg-Rilinger (2008), p. 81.
  11. ^ Stollberg-Rilinger (2008), pp. 81-82.
  12. ^ Krause (1997), p. 43.
  13. ^ a b c d e f g h i Stollberg-Rilinger (2008), p. 82.
  14. ^ a b c d e f g Stollberg-Rilinger (2008), p. 83.
  15. ^ a b c Croxton (2002), p. 30.
  16. ^ Heitz (1995), p. 226.
  17. ^ Heitz (1995), p. 230.
  18. ^ Heitz (1995), p. 232.


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