キンカン素人民謡名人戦 番組内容

キンカン素人民謡名人戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 14:09 UTC 版)

番組内容

ルール

毎回6人の出場者たち(出場者の胸元には、各々の地元にあるFNS系列局のロゴマークを象ったバッジが付けられていた)が民謡で自慢ののどを競いあい、それを4人の審査員たちが審査・採点。合計得点の高い者上位2人が勝ち抜けとなり、さらに月末に行われる準決勝で1人に絞られた。勝ち残った出場者は半年に一度行われる決勝大会に参加し、頂点である「名人位」(グランドチャンピオン)を達成すると賞状とゴールデントロフィーが授与された。

審査員それぞれの持ち点は、予選では10点(計40点満点)、準決勝では15点(計60点満点)であった。審査結果の発表は、三和完児時代には出場者たちが歌い終えた直後に行われていたが、鈴木ヤスシ時代と江戸家小猫(後の四代目江戸家猫八)時代には番組最後に行われていた。なお鈴木時代には、一時期スタジオの観客も審査に加わっていた。

夏休みには子供たちが出場する子供特集を行っていたが、こちらは即戦即決方式であった。

ゲストコーナー

審査の集計中にゲストの民謡歌手が自身の歌を披露した。また、決勝大会の翌週にはゲスト大会も行われた。

飛び入りコーナー

ゲストコーナーと審査発表の間に行われた、スタジオの一般観覧者によるのど自慢コーナー。太鼓が鳴ったら合格となり、本戦へ出場できる。が鳴った場合には不合格。また鈴木時代には、全員が不合格の時に合格のたすきを床に叩き付けていたことがある[誰によって?]

エンディング

三和時代には、三和が早口で「肩こり・神経痛にキンカン、虫刺され・痒み止めにキンカンでお馴染みのキンカン本舗がお送りしましたキンカン素人民謡名人戦!では、また来週!ごきげんよう!」とコール→客席から拍手→観客席に画面が切り替わり、客席の山﨑榮二(寅)社長がカメラに向かってお辞儀→キンカンのCM→提供クレジット…という流れであった。三和が番組を途中降板してからも、エンディングの挨拶の後の観客拍手から提供クレジットまでの流れは変わらなかった。

提供クレジットの表示中には、フジテレビのアナウンサーが「この番組は、ご家庭の常備薬キンカン、キンカン本舗の提供でお送りいたしました。キンカン素人民謡名人戦を終わります」と言っていた。その際の画面上は、「キンカン素人民謡名人戦 終 フジテレビ[注 1]」のエンドカードであった。末期には、スタジオをバックに「キンカン素人民謡名人戦 終 フジテレビ」のテロップが映し出された。


注釈

  1. ^ 1959年の開局から1986年3月まで使われた亀倉雄策作の「フジテレビ」ロゴで、1986年4月に馬場雄二作の「フジテレビ」ロゴに変更された。
  2. ^ 1993年3月まではフジテレビ系列。同系列からテレビ朝日系列へのネットチェンジに伴い、テレビユー山形へ移行。
  3. ^ 正式にはFNN・ANNに加盟していなかったが、1989年9月まで事実上のクロスネット編成を組んでいた。
  4. ^ 当時フジテレビ系列・TBS系列・NET(テレビ朝日)系列のクロスネット局であったテレビ山口がクロスネット編成をしていたために放送枠を確保できず、引き続き山口放送が放送を継続した。
  5. ^ 番組が始まった頃には、フジテレビ系列のテレビ大分は未開局だった。開局後も、同局は日本テレビ系列を主系列としてフジテレビ系列・テレビ朝日系列それぞれの番組をトリプルネットしていたために放送枠が確保できず、引き続き大分放送での番販ネットが続いた。
  6. ^ 番組が始まった頃には、フジテレビ系列の鹿児島テレビは未開局だった。開局後も、同局は日本テレビ系列を主系列としてフジテレビ系列・テレビ朝日系列それぞれの番組をトリプルネットしていたために放送枠が確保できず、引き続き南日本放送での番販ネットが続いた。フジテレビ系番販ネット枠の廃止によって打ち切り。

出典

  1. ^ 『読売新聞』 1994年12月16日、1995年1月6日テレビ欄
  2. ^ 検索結果 キンカン素人民謡名人戦 - 放送ライブラリ公式ページ”. 放送ライブラリー. 2018年6月7日閲覧。
  3. ^ 北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1961年(昭和36年)6月 - 1964年(昭和39年)3月 テレビ欄。
  4. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1964年(昭和39年)4月 - 1967年(昭和42年)3月 テレビ欄と『北海道新聞』(縮刷版) 1967年(昭和42年)4月 - 1972年(昭和47年)12月 テレビ欄から。
  5. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1973年(昭和48年)1月 テレビ欄。
  6. ^ 福島民報』1964年11月3日 - 1970年3月28日付朝刊テレビ欄。
  7. ^ 福島民報』1971年10月2日付朝刊テレビ欄。
  8. ^ 『福島民報』1970年4月4日 - 1971年9月25日付朝刊、テレビ欄。
  9. ^ 出典:読売新聞 岡山版・中国新聞、1963年6月20日。テレビ・ラジオ欄。この時点では火曜 14:00 - 14:40 に放送。
  10. ^ 読売新聞 岡山版、1969年10月18日、11ページ、テレビ欄。






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