ガンドルフォ城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/22 23:20 UTC 版)
ウルバヌス8世の頃に教皇の宮廷が建設され始め、1870年までは拡張され続けて教皇の夏の別荘になっていた。しかし教皇国家の終焉とともにそれをもたらしたイタリア国家への抵抗を示すため、以降の教皇達はバチカンへ「ひきこもり」、他の宮廷は手放した。
1929年、バチカン市国の誕生とともに、ガンドルフォ城にある教皇の別荘群は教皇の特別領土でピウス11世の財産であるとされ、教皇達の避暑地に戻った。以後、教皇たちは例年7月から8月のあいだの約1ヶ月程度のあいだ(スケジュールの関係で年によって時期や期間は異なる)、休暇と避暑のために訪れる。ただし、2013年に就任したフランシスコは同年夏に訪問しないことを6月に発表、7月に日帰りでカステル・ガンドルフォを来訪するにとどまった[1]。
現在はチーボ荘(Villa Cybo)とバルベリーニ荘(Villa Barberini)の庭園とともに、約55ヘクタールに広がる別荘や農園を形成している。農園からは毎朝教皇宮殿に野菜・果物・牛乳・鶏肉等の食材が届けられ、教皇をはじめとした教皇庁職員に供される。余剰品(例えば牛乳は1日約1キロリットルの生産量)はバチカン内のマーケットや近隣の商店にも流通する[2]。
外部リンク
- ^ “避暑地滞在しない「清貧」法王、観光業に大打撃”. 読売新聞. (2013年8月18日) 2013年8月18日閲覧。
- ^ 【外信コラム】イタリア便り ローマ法王の食卓、MSN産経ニュース、2011年9月4日付、2011年10月12日閲覧。
- 1 ガンドルフォ城とは
- 2 ガンドルフォ城の概要
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