オマハ級軽巡洋艦 機関配置

オマハ級軽巡洋艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/07 02:51 UTC 版)

機関配置

アメリカ海軍軽巡洋艦では初めて「シフト配置」を採用している。ボイラー室と機関室2組ずつを交互に配置しており、構成は艦橋の真後ろに前部ボイラー4基と前部機械室、後部ボイラー4基と後部機械室の順である。本級の主缶にはヤーロウ式重油専焼水管缶8基を採用し、主機関にはギヤード・タービン4基4軸を組み合わせた結果、公試において最大出力90,000馬力、速力35ノットを発揮し、抵抗の少ない細長い船体形状により常時20ノットで高速巡航する事ができた。

問題点

オマハ級には様々な問題点があった。当初計画より装備が増加したことで吃水が深くなって冠水する部分も生じ、また乗員の増加により居住性の悪化も招いた[1]。設計上の問題では、後部両舷下部の6インチ砲が波浪により射撃困難となりやすいなどがあり、それらを撤去の上で上構中心線上に6インチ砲1門を新たに装備することが計画されたものの、実施は「マーブルヘッド」のみにとどまった[1]。高速時に燃料タンクに海水が入りこむという水密性の欠陥もあり、それによって航行不能に陥るといった事態も起こった[2]

艦歴

本級は設計中に類別変更を受けて偵察巡洋艦から軽巡洋艦となった。オマハとミルウォーキーは1918年に建造が開始され、1924年までに完成し、他の同型艦も1920年から建造を開始して1924年から1925年にかけて完成した。運用を開始すると細身の船体形状のために復元性の不足や兵装配置からくる居住性の難点が指摘され、前檣・後檣のトップを短縮したり、艦内装備の魚雷発射管の撤去と舷側閉塞を行い対処している。

戦前から哨戒任務に従事していた。太平洋戦争では真珠湾攻撃時の「ローリー」とジャワ沖海戦での「マーブルヘッド」損傷時の戦訓から前線での任務には堪えられないと評価され、第二線任務にまわされた[3]。結果、ガダルカナル島の攻防など激戦地に投入されることはなく、大西洋アリューシャン列島方面など非激戦地での支援や哨戒に徹して(デトロイトのみ、大戦末期に第38任務部隊の補給部隊に配属)喪失艦なく終戦を迎えた。

大戦中の主な活躍は、オマハが1941年11月にドイツ封鎖突破船オーデンヴァルトを捕獲した戦果が挙げられる。

同型艦


注釈

  1. ^ a b 1930年以降
  2. ^ 1929年の改装で6基に削減
  3. ^ 後に「マーブルヘッド」は片舷指向火力の低下を防ぐため後部見張り所に単装砲架を1基配置したが戦時中に撤去され、更に「デトロイト」は1945年1月の改装で前部上段2基を撤去している。

出典

  1. ^ a b ライバル! オマハ級の計画から終戦までの真実、169ページ
  2. ^ ライバル! オマハ級の計画から終戦までの真実、169-170ページ
  3. ^ ライバル! オマハ級の計画から終戦までの真実、171ページ


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