エイコーン・コンピュータ エイコーン解体(1998年-2000年)とその後の技術開発

エイコーン・コンピュータ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/06 01:30 UTC 版)

エイコーン解体(1998年-2000年)とその後の技術開発

セットトップボックスは期待したほど売れず、ネットワーク・コンピュータもほとんど売れなかった。これらは普通のコンピュータより低価格であることが強みだったが、パーソナルコンピュータの急激な低価格化でその利点も無意味となった。また、家庭への回線の帯域幅もどんどん拡大していった。1996年から1998年にかけて、オリベッティはエイコーン・グループを手放し、一連の取引で5400万ポンドを得た。エイコーンはリストラを開始し、子会社を吸収して部門とした。Acorn RISC Technologies はワークステーション部門となったが1998年末には廃止され、エイコーンはデスクトップコンピュータやセットトップボックスの製造を止めた。そのころ新たなマシン Phoebe(または Risc PC 2)がほぼ完成していたが、販売されることなく終わった。製造のために確保されていた筐体は安く売られた。

ARM社は順調で、1998年には株式公開(IPO)を果たした。

1999年1月、エイコーン・コンピュータは名称を Element 14 Ltd とし、チップとソフトウェアのIP開発企業、特にデジタルテレビ市場に注力する企業となった[12]。このころ、エイコーン・グループの時価総額はARMの時価総額の24%程度になっていた。そのため、株主からエイコーンの保有するARM株を売却させようとする(そうして得られた金を配当に回させる)圧力が働いた。また、ARM側もこの状況に対して動こうとした。エイコーンのような脆弱な企業がARM社の株の多くを保有していることは危険だからである。1999年6月1日、Morgan Stanley Dean Witter Investments Limited (MSDW)がエイコーン・コンピュータ・グループを買収した。これによってエイコーン・グループは上場廃止となり、同社が保有していたARM株はエイコーンの株主に分配された。

セットトップボックス部門はMSDWによって Pace Micro Technology に20万ポンドで売却され、Pace は1999年7月26日RISC OS の権利を得た[13]。 Stan Boland を中心としたエイコーン経営陣はMSDWから Element 14 部門を150万ポンドで買い戻した。その後 Element 14 はいくつかのベンチャーキャピタルから825万ポンドを集め、運営が続けられた。同社はアルカテルDSL技術者をヘッドハンティングすることに成功した[14]。その後、Element 14 はブロードコムによって2000年11月に3億6600万ポンドで買収された[15]




「エイコーン・コンピュータ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エイコーン・コンピュータ」の関連用語

エイコーン・コンピュータのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エイコーン・コンピュータのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエイコーン・コンピュータ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS