ウダイプリー・マハル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/31 08:12 UTC 版)
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ウダイプリー・マハルは奴隷の娘だった。出身地についてはあまりよくわかっておらず、メーワール王国のウダイプルの出身とも、カシミールの出身ともいわれる[1]。あるいはグルジア出身ともされている[2]。
最初はダーラー・シコーの妃だったが、1659年に彼がアウラングゼーブに処刑されると、その妃となった[1]
1667年3月6日、アウラングゼーブの最後の息子であるカーム・バフシュを生んだ[1][2]。
1681年以降、アウラングゼーブがデカン地方に遠征するとそれに随行し、その晩年の面倒を見ていた[3]。
1707年3月にアウラングゼーブがアフマドナガルで死ぬと、ウダイプリー・マハルも同年6月8日の直後に後を追うようにグワーリオールで死亡した[1]。
参考文献
- ロビンソン, フランシス 『ムガル皇帝歴代誌 - インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206 - 1925年)』 小名康之監修、月森左知訳、創元社、2009年5月。ISBN 9784422215204。
- 1 ウダイプリー・マハルとは
- 2 ウダイプリー・マハルの概要
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