アーヴィング・フィッシャー 評価

アーヴィング・フィッシャー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 03:39 UTC 版)

評価

  • 1929年の大暴落と1930年代の不況は、フィッシャーの名声を傷つけた。彼はローロデックスというカード索引の発明で莫大な富を得たが、株式市場の暴落でそのほとんどを失った。フィッシャーは1929年の株式市場暴落の数日前に、「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」という有名な予言を行っていた。暴落の数ヶ月後にも、彼は投資家に対して回復は間もなく訪れると明言し続けた。しかしひとたび大恐慌が本格的になると彼は転向し、デフレーションの経済的危険性を警告した。物価水準は彼の思考の中心であり続けたが彼の負債デフレーション理論は物価水準が下落したとき、人々が彼らの負債を完済しようとすることで負債の実際の負担が増加することを強調した。その分析は人々を納得させることができず、マクロ経済学の中に新しい発想を求めた人々は代わりにジョン・メイナード・ケインズに注目した。
  • 経済学者の浜田宏一は「フィッシャーは貨幣数量説の祖であるとともに、現代的な貯蓄理論の先駆者である。またイェールの経済学部の創始者でもある。ジェームズ・トービンの記すところによれば、フィッシャーは自分の景気判断を信用し過ぎ、大恐慌のときも強気で、株に大いに投資し、それを周囲にも勧めたという。そして株価は暴落し、フィッシャーは自宅まで手放さなくてはならなくなりそうになった。看板教授は大学が助けざるをえず、大経済学者も大学の人気者ではなくなったという」と指摘している[4]

日本との関係

日本では、イェール大学で三年間に渡ってフィッシャーの指導を受けた高城仙次郎慶應義塾大学教授が(帰国後の)1910年から彼の理論を紹介し始め河上肇高田保馬神戸正雄山崎覚次郎などさまざまな学者と論争が行われた[5]


  1. ^ 都留重人『近代経済学の群像』社会思想社 現代教養文庫、1993年、132頁。 
  2. ^ 都留重人『近代経済学の群像』社会思想社 現代教養文庫、1993年、133頁。 
  3. ^ 田中秀臣 『日本型サラリーマンは復活する』 日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2002年、138頁。
  4. ^ 浜田宏一 『アメリカは日本経済の復活を知っている』、講談社、p263。
  5. ^ 「高城仙次郎」Bibliographical Database of Keio Economists(慶應大学)


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